きつね》は、ひょいと虎《とら》の背中《せなか》から、飛《と》び降《お》りて、二三|間《げん》前《まえ》の方《ほう》で、
「おいで、おいで。」
をしていました。それで虎《とら》も勝負《しょうぶ》に負《ま》けました。
狐《きつね》は大いばりで獅子《しし》の首《くび》を背負《せお》って、日本《にっぽん》に帰《かえ》って来《き》ました。これが、今《いま》でも、お祭《まつ》りの時《とき》にかぶる獅子頭《ししがしら》だということです。
蛙《かえる》とみみず
むかし、むかし、大昔《おおむかし》、神《かみ》さまが大ぜいの鳥《とり》や、虫《むし》やけだものを集《あつ》めて、てんでんが毎日《まいにち》食《た》べて、命《いのち》をつないでいくものをきめておやりになりました。何万《なんまん》という生《い》き物《もの》が、ぞろぞろ神《かみ》さまの所《ところ》へ集《あつ》まって来《き》て、めいめい、おいい渡《わた》しを受《う》けました。その中で、蛇《へび》は、いちばんおなかをすかしきっていて、ひょろひょろしていましたから、だれよりもおくれて、みんなのあとからのたりのたりはって行きました。すると、そのあとから、蛙《かえる》がぴょんぴょん元気《げんき》よくとんで来《き》ました。蛙《かえる》はずんずん蛇《へび》を追《お》いこして、
「蛇《へび》さん、ずいぶんのろまだなあ。おいらのしりでもしゃぶるがいい。」
と悪口《わるぐち》をいいながら、またずんずん行《い》ってしまいました。蛇《へび》はくやしくってたまりませんけれども、どうにもならないので、だれよりもいちばんあとにおくれて、のろのろついて行きました。蛇《へび》が神《かみ》さまの前《まえ》に出た時《とき》は、大抵《たいてい》の生《い》き物《もの》が、それぞれ食《た》べ物《もの》を頂《いただ》いて、にこにこしながら、帰《かえ》って行くところでした。神《かみ》さまは、蛇《へび》がおくれて来《き》たのをごらんになって、
「どうしてそんなに遅《おそ》くなったか。」
とお聞《き》きになりました。そこで蛇《へび》は、おなかがへって、どうにも早《はや》く歩《ある》けなかったこと、途中《とちゅう》で蛙《かえる》があとから追《お》いついて来《き》て、おしりでもしゃぶれといったことを残《のこ》らず訴《うった》えました。すると神《かみ》さまは、大《たい》そうおおこりになって、いったん帰《かえ》りかけた蛙《かえる》をお呼《よ》びもどしになりました。そして、蛇《へび》に向《む》かって、
「蛙《かえる》がおしりをしゃぶれといったのならかまわない。これから、おなかのへった時《とき》には、いつでも蛙《かえる》のおしりからまるのみにのんでやるがいい。」
とおっしゃいました。そこで蛇《へび》は大《たい》そうよろこんで、いきなり蛙《かえる》をつかまえて、おしりからひとのみにのんでしまいました。これで蛇《へび》の食《た》べ物《もの》がきまったので、神《かみ》さまがお帰《かえ》りになろうとしますと、小さな声《こえ》で、
「もし、もし。」
と呼《よ》びながら、地《じ》の中から出て来《き》たものがありました。それは、目の見《み》えないみみずで、目が不自由《ふじゆう》なものですから、こんなに来《く》るのに手間《てま》をとってしまったのです。
「もし、もし、神《かみ》さま、わたくしは、何《なに》を食《た》べたらよろしゅうございましょうか。」
とみみずがいいました。神《かみ》さまのお手には、なんにももう残《のこ》ってはいませんでした。そこで、めんどうくさくなって、
「土《つち》でも食《た》べていろ。」
とおっしゃいました。すると、みみずは不足《ふそく》そうな顔《かお》をして、
「土《つち》を食《た》べてしまったら、何《なに》を食《た》べましょうか。」
としつっこくたずねました。すると神《かみ》さまはかんしゃくをおおこしになって、
「夏《なつ》の炎天《えんてん》にやけて死《し》んでしまえ。」
とおしかりつけになりました。そこで、みみずは土《つち》を食《く》って生《い》き、夏《なつ》の炎天《えんてん》に出ると、やけ死《し》んでしまうのだそうです。
すずめときつつき
むかし、すずめがせっせと鏡《かがみ》に向《む》かって、おはぐろをつけていますと、おかあさんが死《し》んだという知《し》らせが来《き》ました。びっくりして、おはぐろを半分《はんぶん》つけかけたまま、すずめはおかあさんの所《ところ》へ駆《か》けつけて行《い》きました。神《かみ》さまはすずめの孝行《こうこう》なことをおほめになって、
「すずめよ、毎年《まいねん》これから稲《いね》の初穂《はつほ》をつむことを許《ゆる》してやるぞ。」
とおっしゃいました。でもおはぐろは、つけかけたまま途中《とちゅう》でやめたので、すずめのくちばしは、いまだに下だけ黒《くろ》くって、上の半分《はんぶん》はいつまでも白いままでいるのです。
それとはちがって、きつつきは、おかあさんの死《し》んだ知《し》らせが来《き》ても、鏡《かがみ》に向《む》かって紅《べに》をつけたり、おしろいをぬったり、おしゃれに夢中《むちゅう》になっていて、とうとう親《おや》の死《し》に目に合《あ》わなかったものですから、神《かみ》さまがおおこりになって、
「お前《まえ》は木の中の虫《むし》でも食《た》べているがいい。」
とお申《もう》し渡《わた》しになりました。それできつつきはいつも木の枝《えだ》から枝《えだ》を渡《わた》り歩《ある》いて、ひもじそうに虫《むし》をさがしているのです。
物《もの》のいわれ(下)[#「(下)」は縦中横]
ふくろうと烏《からす》
むかし、ふくろうという鳥《とり》は、染物屋《そめものや》でした。いろいろの鳥《とり》がふくろうの所《ところ》へ来《き》ては、赤《あか》だの、青《あお》だの、ねずみ色《いろ》だの、るり色《いろ》だの、黄色《きいろ》だの、いろいろなきれいな色《いろ》に体《からだ》を染《そ》めてもらいました。烏《からす》がそれを見《み》て、うらやましがって、もともと大《たい》そうなおしゃれでしたから、いちばん美《うつく》しい色《いろ》に染《そ》めてもらおうと思《おも》って、ふくろうの所《ところ》にやって来《き》ました。
「ふくろうさん、ふくろうさん。わたしの体《からだ》を、何《なに》かほかの鳥《とり》とまるでちがった色《いろ》に染《そ》めて下《くだ》さい。世界中《せかいじゅう》の鳥《とり》をびっくりさせてやるのだから。」
と、烏《からす》がいいました。
「うん、よしよし。」
とふくろうは請《う》け合《あ》って、さんざん首《くび》をひねって考《かんが》えていましたが、やがて烏《からす》をどっぷり、真《ま》っ黒《くろ》な墨《すみ》のつぼにつっ込《こ》みました。
「さあ、これでほかに類《るい》のない色《いろ》の鳥《とり》になった。」
とふくろうはいいながら、烏《からす》を引《ひ》き上《あ》げてやりました。烏《からす》はどんな美《うつく》しい色《いろ》に染《そ》まったろうと、楽《たの》しみにしながら、急《いそ》いで鏡《かがみ》の前《まえ》へ行って見《み》ますと、まあ、驚《おどろ》きました、頭《あたま》からしっぽの先《さき》まで真《ま》っ黒々《くろぐろ》と、目も鼻《はな》も分《わ》からないようになっているではありませんか。そこで烏《からす》は、よけい真《ま》っ黒《くろ》になっておこりながら、
「何《なん》だってこんな色《いろ》に染《そ》めたのだ。」
といいますと、ふくろうは、
「だって外《ほか》に類《るい》のない色《いろ》といえば、これだよ。」
といって、すましていました。烏《からす》はくやしがって、
「よしよし、ひとをこんな目に合《あ》わせて。今《いま》にきっとかたきをとってやるから。」
とうらめしそうにいいました。
その時《とき》から烏《からす》とふくろうとは、かたき同士《どうし》になりました。そしてふくろうは烏《からす》のしかえしをこわがって、昼間《ひるま》はけっして姿《すがた》を見《み》せません。
蜜蜂《みつばち》
むかし、むかし、大昔《おおむかし》、神《かみ》さまがいろいろの生《い》き物《もの》をお作《つく》りになった時《とき》に、たくさんの蜂《はち》をお作《つく》りになりました。そのたくさんの蜂《はち》の中に、蜜蜂《みつばち》だけが針《はり》を持《も》っていませんでした。蜜蜂《みつばち》は不足《ふそく》そうな顔《かお》をして、神《かみ》さまの所《ところ》へ行って、
「ほかの蜂《はち》はみんな針《はり》を持《も》っておりますが、わたくしだけは針《はり》がありません。どうか針《はり》をつけて下《くだ》さい。」
といいました。
「いいや、お前《まえ》は人間《にんげん》に飼《か》われるのだから、針《はり》はいらない。ぜひほしいというなら、針《はり》をやってもいいが、人間《にんげん》を刺《さ》すことはならないぞ。もし間違《まちが》えて刺《さ》したら、針《はり》が折《お》れて、命《いのち》がなくなるぞ。」
と、神《かみ》さまがおっしゃいました。
「けっして刺《さ》しませんから、どうぞ針《はり》を下《くだ》さい。」
と、蜜蜂《みつばち》がいいました。
「それなら針《はり》をやろう。」
と、神《かみ》さまがおっしゃって、蜜蜂《みつばち》に針《はり》を下《くだ》さいました。そこで約束《やくそく》のとおり、蜜蜂《みつばち》には針《はり》はあっても、人間《にんげん》を刺《さ》しません。刺《さ》せば針《はり》が折《お》れて、命《いのち》がなくなるのです。
ひらめ
むかし、いじの悪《わる》い娘《むすめ》がありました。ほんとうのおかあさんは亡《な》くなって、今《いま》のは後《あと》から来《き》たおかあさんでした。それで何《なに》かいけないことをして、おかあさんにしかられると、おかあさんが自分《じぶん》をにくらしがってしかるのだと思《おも》って、いつもうらめしそうに、おかあさんをにらみつけていました。
ところがあんまりおかあさんをにらみつけていたものですから、いつの間《ま》にか目がだんだんうしろに引《ひ》っ込《こ》んで、とうとう背中《せなか》の方《ほう》に回《まわ》ってしまいました。そして娘《むすめ》はひらめというお魚《さかな》になってしまいました。
そういえばなるほど、ひらめというお魚《さかな》は、目が背中《せなか》についています。ですから今《いま》でも、親《おや》をにらめると、平目《ひらめ》になるといっているのです。
ほととぎす
むかし、二人《ふたり》のきょうだいがありました。弟《おとうと》の方《ほう》は大《たい》そう気立《きだ》てがやさしくて、にいさん思《おも》いでしたから、山へ行《い》ってお芋《いも》を取《と》って来《く》ると、きっといちばんおいしそうなところを、にいさんに食《た》べさせて、自分《じぶん》はいつもしっぽのまずいところを食《た》べていました。けれどもにいさんは目が見《み》えない上に、ひがみ根性《こんじょう》が強《つよ》かったものですから、「弟《おとうと》がきっと自分《じぶん》にかくしていいところばかり食《た》べて、自分《じぶん》には食《く》いあましをくれるのだろう。ひとつおなかを裂《さ》いて見《み》てやりたい。」と思《おも》って、とうとう弟《おとうと》を殺《ころ》してしまいました。
けれども弟《おとうと》のおなかの中には、お芋《いも》のしっぽばかりしかはいっていませんでした。正直《しょうじき》な弟《おとうと》を疑《うたぐ》っていたことがわかると、にいさんは大《たい》そう後悔《こうかい》して、死《し》んだ弟《おとうと》の体《からだ》をしっかり抱《だ》きしめて、血《ち》の涙《なみだ》を流《なが》しながら泣《な》いていました。
すると、死《し》んだ弟《おとうと》の体
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