《からだ》から羽《はね》が生《は》えて、鳥《とり》になって、
「がんくう。がんくう。」
 と鳴《な》いて、飛《と》んで行きました。
「がんこ」というのはお芋《いも》のしっぽということです。弟《おとうと》は「お芋《いも》のしっぽをたべている。」ということを、「がんくう。がんくう。」といって、鳴《な》いたのでした。
 すると兄《あに》はいよいよ弟《おとうと》がかわいそうになって、これも鳥《とり》になって、
「ほっちょかけたか、おっととこいし。」
 と、鳴《な》き鳴《な》き弟《おとうと》のあとを追《お》って飛《と》んで行きました。
 毎年《まいねん》うの花《はな》の咲《さ》くころになると、暗《くら》い空《そら》の中で、しぼるような悲《かな》しい声《こえ》で鳴《な》いて飛《と》びまわっているほととぎすは、人によって「がんくう。がんくう。」と鳴《な》いているようにも聞《き》こえますし、「ほっちょかけたか、おっととこいし。」と鳴《な》いているようにも聞《き》こえます。これは鳥《とり》になったきょうだいが、やみ夜《よ》の中で、いつまでも呼《よ》び合《あ》っているのだということです。

     鳩《はと》

 鳩《はと》もむかしは親不孝《おやふこう》で、親《おや》のいうことには、右《みぎ》といえば左《ひだり》、左《ひだり》といえば右《みぎ》と、何《なに》によらずさからうくせがありました。ですから、親鳩《おやばと》は子鳩《こばと》に山へ行ってもらいたいと思《おも》う時《とき》には、わざと今日《きょう》は畑《はたけ》へ出てくれといいました。畑《はたけ》へ下《お》りてもらいたいと思《おも》う時《とき》には、わざと、今日《きょう》は山へ行ってくれといいました。
 いよいよ親鳩《おやばと》が死《し》ぬとき、死《し》んだら山のお墓《はか》に埋《う》めてもらいたいと思《おも》って、その時《とき》もわざと、
「わたしが死《し》んだら、川の岸《きし》の小石《こいし》と砂《すな》の中に埋《う》めておくれ。」
 といい残《のこ》しました。
 親鳩《おやばと》に別《わか》れると、子鳩《こばと》は急《きゅう》に悲《かな》しくなりました。そしてこんどこそは親《おや》のいいつけにそむくまいと思《おも》って、そのとおり河原《かわら》の小石《こいし》と砂《すな》の中に、親《おや》のなきがらを埋《う》めて、小さなお墓《はか》を立《た》てました。
 ところが川のそばですから、雨《あめ》がふって、水《みず》がふえて、河原《かわら》に水《みず》が流《なが》れ出《だ》すたんびに、小石《こいし》と砂《すな》がくずれ出《だ》して、お墓《はか》もいっしょに流《なが》れていきそうになりました。子鳩《こばと》はよけい親鳩《おやばと》をこいしがって、ぽっほ、ぽっほといつまでも悲《かな》しそうになきました。
 せっかく孝行《こうこう》な子供《こども》になろうと思《おも》っても、親《おや》のいなくなったのを、鳩《はと》は今《いま》でもくやしがっているのだそうです。



底本:「日本の諸国物語」講談社学術文庫、講談社
   1983(昭和58)年4月10日第1刷発行
※底本の「物のいわれ(上)」「物のいわれ(下)」をひとつにまとめました。
入力:鈴木厚司
校正:大久保ゆう
2003年9月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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