間《にんげん》を刺《さ》しません。刺《さ》せば針《はり》が折《お》れて、命《いのち》がなくなるのです。
ひらめ
むかし、いじの悪《わる》い娘《むすめ》がありました。ほんとうのおかあさんは亡《な》くなって、今《いま》のは後《あと》から来《き》たおかあさんでした。それで何《なに》かいけないことをして、おかあさんにしかられると、おかあさんが自分《じぶん》をにくらしがってしかるのだと思《おも》って、いつもうらめしそうに、おかあさんをにらみつけていました。
ところがあんまりおかあさんをにらみつけていたものですから、いつの間《ま》にか目がだんだんうしろに引《ひ》っ込《こ》んで、とうとう背中《せなか》の方《ほう》に回《まわ》ってしまいました。そして娘《むすめ》はひらめというお魚《さかな》になってしまいました。
そういえばなるほど、ひらめというお魚《さかな》は、目が背中《せなか》についています。ですから今《いま》でも、親《おや》をにらめると、平目《ひらめ》になるといっているのです。
ほととぎす
むかし、二人《ふたり》のきょうだいがありました。弟《おとうと》の方《ほう》は大《たい》そう気立《きだ》てがやさしくて、にいさん思《おも》いでしたから、山へ行《い》ってお芋《いも》を取《と》って来《く》ると、きっといちばんおいしそうなところを、にいさんに食《た》べさせて、自分《じぶん》はいつもしっぽのまずいところを食《た》べていました。けれどもにいさんは目が見《み》えない上に、ひがみ根性《こんじょう》が強《つよ》かったものですから、「弟《おとうと》がきっと自分《じぶん》にかくしていいところばかり食《た》べて、自分《じぶん》には食《く》いあましをくれるのだろう。ひとつおなかを裂《さ》いて見《み》てやりたい。」と思《おも》って、とうとう弟《おとうと》を殺《ころ》してしまいました。
けれども弟《おとうと》のおなかの中には、お芋《いも》のしっぽばかりしかはいっていませんでした。正直《しょうじき》な弟《おとうと》を疑《うたぐ》っていたことがわかると、にいさんは大《たい》そう後悔《こうかい》して、死《し》んだ弟《おとうと》の体《からだ》をしっかり抱《だ》きしめて、血《ち》の涙《なみだ》を流《なが》しながら泣《な》いていました。
すると、死《し》んだ弟《おとうと》の体
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