たくいいつけられていましたから、強《つよ》く首《くび》を振《ふる》って、
「それはいけませんよ。」
 といいました。
「なぜ、いけないのでしょう。」
 と少女《おとめ》は子供《こども》らしい目をくりくりとさせて、さもふしぎそうにたずねました。
「だって羽衣《はごろも》を見《み》せると、それを着《き》て、また天《てん》へ帰《かえ》ってしまうでしょう。」
「まあ、わたくし、人間《にんげん》の世界《せかい》がすっかり好《す》きになったと申《もう》し上《あ》げたではございませんか。おかあさん、お願《ねが》いです、ほんの一目《ひとめ》見《み》ればいいのですから。」
 と、少女《おとめ》はしきりとおかあさんに甘《あま》えるように頼《たの》んでいました。そのかわいらしい様子《ようす》を見《み》ていると、おかあさんは、何《なん》でもそのいうとおりにしてやらなければならないような気《き》がしてきました。
「ではほんのちょいとですよ、伊香刀美《いかとみ》にはないしょでね。」
 とおかあさんはいいながら、戸棚《とだな》の奥《おく》にしまってある箱《はこ》を出《だ》しました。少女《おとめ》は胸《むね》をどきつかせながらのぞき込《こ》みますと、おかあさんはそっと箱《はこ》のふたをあけました。中からはぷんといい香《かお》りがたって、羽衣《はごろも》はそっくり元《もと》のままで、きれいにたたんで入《い》れてありました。
「まあ、そっくりしておりますのね。」
 と少女《おとめ》は目を輝《かがや》かしながら見《み》ていましたが、
「でも、もしどこかいたんでいやしないかしら。」
 というなり、箱《はこ》の中の羽衣《はごろも》を手に取《と》りました。そしておかあさんが「おや。」と止《と》めるひまもないうちに、手ばやく羽衣《はごろも》を着《き》ると、そのまますうっと上へ舞《ま》い上《あ》がりました。
「ああ、あれあれ。」
 と、おかあさんは両手《りょうて》をひろげてつかまえようとしました。その間《ま》に少女《おとめ》の姿《すがた》は、もう高《たか》く高《たか》く空《そら》の上へ上《あ》がっていって、やがて見《み》えなくなりました。
 帰《かえ》って来《き》て伊香刀美《いかとみ》はどんなにがっかりしたでしょう。三|年前《ねんまえ》に湖《みずうみ》のそばで少女《おとめ》がしたように、足《あし》ずりをしてくやし
前へ 次へ
全7ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング