し》の下に降《お》りて、波《なみ》を切《き》って湖《みずうみ》の中に入《はい》って行きました。藤太《とうだ》もその後《あと》からついて行きました。しばらくすると向《む》こうにりっぱな門《もん》が見《み》えて、その奥《おく》に金銀《きんぎん》でふいた御殿《ごてん》の屋根《やね》があらわれました。るりをしきつめた道《みち》をとおって、さんごで飾《かざ》った玄関《げんかん》を入《はい》って、めのうで堅《かた》めた廊下《ろうか》を伝《つた》わって、奥《おく》の奥《おく》の大広間《おおひろま》へとおりました。そこのすいしょうをはりつめた欄干《らんかん》から、湖水《こすい》を透《す》かしてすぐ向《む》こうに三上山《みかみやま》がそびえていました。
「むかでの出ますにはまだ間《ま》がございます。」
 と龍王《りゅうおう》はいって、藤太《とうだ》をくつろがせ、いろいろとごちそうをしているうちに時刻《じこく》がたって、だんだん暗《くら》くなって来《き》ました。

     二

 すると暗《くら》くなるに従《したが》って、龍王《りゅうおう》の顔《かお》が青《あお》くなって来《き》ました。
「ああ、もうそろそろむかでがやってまいります。」
 と龍王《りゅうおう》は息《いき》をはずませながらささやきました。藤太《とうだ》は弓矢《ゆみや》を持《も》って立《た》ち上《あ》がりました。
 やがてむこうの空《そら》がかっと燃《も》えるように赤《あか》くなりました。すると間《ま》もなく比良《ひら》の峰《みね》から三上山《みかみやま》にかけて何《なん》千という火《ひ》の玉《たま》が現《あらわ》れ、それがたい松《まつ》行列《ぎょうれつ》のように、だんだんとこちらに向《む》かって進《すす》んで来《き》ました。
「あれあれ、あのとおりむかでがやってまいります。どうぞはやく退治《たいじ》て下《くだ》さいまし。」
 と龍王《りゅうおう》はぶるぶるふるえながらいいました。しかし藤太《とうだ》はゆったりした声《こえ》で、
「きっと退治《たいじ》てあげるから、安心《あんしん》しておいでなさい。」
 といいながら、欄干《らんかん》に片足《かたあし》をかけて一の矢《や》をつがえて、一ぱいに引《ひ》きしぼって、切《き》って放《はな》しました。矢《や》はまさしくむかでのみけんに当《あ》たりました。けれどもかんと鉄板《てついた》にぶつかったような音《おと》がして、矢《や》ははねかえって来《き》ました。藤太《とうだ》は、
「しまった。」
 と叫《さけ》んで、手早《てばや》く二の矢《や》をつがえて、いっそう強《つよ》く引《ひ》きしぼって放《はな》しましたが、これもはねかえって来《き》ました。もうあとに矢《や》は一|本《ぽん》しか残《のこ》ってはおりません。むかではずんずん近寄《ちかよ》って来《き》ました。龍王《りゅうおう》はがっかりして死《し》んだようになっていました。
 その時《とき》藤太《とうだ》はふと思《おも》いついたことがあって、三|本《ぼん》めの矢《や》の根《ね》を口にくくんで、つばでぬらしました。そして弓《ゆみ》につがえて、ひょうと放《はな》しますと、こんどこそ矢《や》はぐっさりむかでのみけんにささりました。人間《にんげん》のつばをむかでがきらうということを藤太《とうだ》はふと思《おも》い出《だ》したのでした。
 すると何《なん》千とない火《ひ》の玉《たま》は一|度《ど》にふっと消《き》えました。大《おお》あらしが吹《ふ》いて、雷《かみなり》が鳴《な》り出《だ》しました。龍王《りゅうおう》も家来《けらい》たちも、頭《あたま》を抱《かか》えて床《ゆか》の上につっ伏《ぷ》してしまいました。
 さんざん大荒《おおあ》れに荒れた後《あと》で、ふいとまた雷《かみなり》がやんで、あらしがしずまって、夏《なつ》の夜《よ》がしらしらと明《あ》けかかりました。三上山《みかみやま》がやさしい紫色《むらさきいろ》の影《かげ》を空《そら》にうかべていました。その下の湖《みずうみ》にむかでの死骸《しがい》はゆらゆらと波《なみ》にゆられていました。
 龍王《りゅうおう》は小踊《こおど》りをしてよろこんで、
「お陰《かげ》さまで今夜《こんや》からおだやかな夢《ゆめ》がみられます。ほんとうにありがとうございます。」
 といって、何遍《なんべん》も何遍《なんべん》も藤太《とうだ》にお礼《れい》をいいました。そしてたくさんごちそうをして、女《おんな》たちに歌《うた》を歌《うた》わせたり舞《まい》を舞《ま》わせたりしました。
 ごちそうがすむと、藤太《とうだ》はいとまごいをして帰《かえ》りかけました。龍王《りゅうおう》はいろいろに引《ひ》き止《と》めましたが、藤太《とうだ》はぜひ帰《かえ》るといってきかないものです
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