なぜ為朝《ためとも》を鎮西八郎《ちんぜいはちろう》というかといいますと、それはこういうわけです。いったいこの為朝《ためとも》は子供《こども》のうちからほかの兄弟《きょうだい》たちとは一人《ひとり》ちがって、体《からだ》もずっと大きいし、力《ちから》が強《つよ》くって、勇気《ゆうき》があって、世《よ》の中に何《なに》一つこわいというもののない少年《しょうねん》でした。それに生《う》まれつき弓《ゆみ》を射《い》ることがたいそう上手《じょうず》で、それこそ八幡太郎《はちまんたろう》の生《う》まれかわりだといわれるほどでした。それどころか、八幡太郎《はちまんたろう》は弓《ゆみ》の名人《めいじん》でしたけれど、人並《ひとな》みとちがった強《つよ》い弓《ゆみ》を引《ひ》くということはなかったのですが、為朝《ためとも》は背《せい》の高《たか》さが七|尺《しゃく》もあって、力《ちから》の強《つよ》い上に、腕《うで》が人並《ひとな》みより長《なが》く、とりわけ左《ひだり》の手が右《みぎ》の手より四|寸《すん》も長《なが》かったものですから、並《な》みの二|倍《ばい》もある強《つよ》い弓《ゆみ》に、二|倍
前へ
次へ
全31ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング