人馬
楠山正雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)坊《ぼう》さん

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三|人《にん》
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     一

 むかし、三|人《にん》の坊《ぼう》さんが、日本《にっぽん》の国中《くにじゅう》を方々《ほうぼう》修行《しゅぎょう》して歩《ある》いていました。四国《しこく》の島《しま》へ渡《わた》って、海《うみ》ばたの村《むら》を托鉢《たくはつ》して歩《ある》いているうちに、ある日いつどこで道《みち》を間違《まちが》えたか、山の中へ迷《まよ》い込《こ》んでしまいました。行けば行くほどだんだん深《ふか》い深《ふか》い山道《やまみち》に迷《まよ》い込《こ》んで、どうしてももとの海《うみ》ばたへ出ることができません。そのうちにだんだん日が暮《く》れてきて、足もとが暗《くら》くなりました。気《き》をあせればあせるほどよけい道《みち》が分《わ》からなくなって、とうとう人の足跡《あしあと》のない深《ふか》い山奥《やまおく》の谷《たに》の中に入《はい》り込《こ》んでしまいました。もう道《みち》のない草《くさ》の中をやたらに踏《ふ》み分《わ》けて行きますと、ひょっこり平《たい》らな土地《とち》へ出ました。よく見《み》ると、人の家《いえ》の垣根《かきね》らしいものがあって、中には人が住《す》んでいるようですから、坊《ぼう》さんたちは地獄《じごく》で仏《ほとけ》さまに会《あ》ったようによろこんで、ずんずん中へ入《はい》ってみますと、なるほど一|軒《けん》そこに家《いえ》がありました。
 でもよく考《かんが》えてみると、こんな人の匂《にお》いもしそうもない深《ふか》い山奥《やまおく》にだれか住《す》んでいるというのがふしぎなことですから、きっと人間《にんげん》ではない、鬼《おに》が化《ば》けたのか、それともきつねかたぬきかが化《ば》かすのではないかと思《おも》って、少《すこ》し気味《きみ》が悪《わる》くなりました。けれど何《なに》しろくたびれきって一足《ひとあし》も歩《ある》けない上に、おなかがすききっているものですから、もう鬼《おに》でも化《ば》け物《もの》でもかまわない、とにかく休《やす》ませてもらおうと思《おも》って、その家《いえ》の戸《と》をとんとんたたきました。
 すると中から「だれだ。」といって、六十ばかりのおじいさんの坊《ぼう》さんが出て来《き》ました。何《なん》だかこわらしい、食《く》いつきそうな顔《かお》をした坊《ぼう》さんでしたけれど、今更《いまさら》どうにもならないと思《おも》って、三|人《にん》は上へ上《あ》がりました。するとあるじの坊《ぼう》さんは、
「お前《まえ》さんたちはおなかがへったろう。」
 といって、ごちそうをお盆《ぼん》にのせて出《だ》してくれました。ごちそうは大《たい》へんうまかったし、あるじの様子《ようす》も顔《かお》に似合《にあ》わず親切《しんせつ》らしいので、三|人《にん》はすっかり安心《あんしん》して、食《た》べたり飲《の》んだりしていました。
 夕飯《ゆうはん》がすんでしまうと、あるじの坊《ぼう》さんは手をならして、
「これこれ。」
 と呼《よ》びますと、もう一人《ひとり》のやはりこわらしい顔《かお》をした坊《ぼう》さんが出て来《き》ました。
 何《なに》をいうかと思《おも》うと、
「御飯《ごはん》がすんだから、いつもの物《もの》を持《も》っておいで。」
 といいつけました。坊《ぼう》さんはうなずいて出ていきました。いったい「いつものもの」というのは何《なん》だろうと、三|人《にん》は物《もの》めずらしさが半分《はんぶん》に、気味悪《きみわる》さが半分《はんぶん》で、何《なに》が出るかと待《ま》ちうけていますと、やがてさっきの坊《ぼう》さんが、大きな馬《うま》のくつわと、太《ふと》いむちを持《も》って戻《もど》って来《き》ました。するとあるじはまた、
「それ、いつものとおりにやれ。」
 といいつけました。
「何《なに》をするのか。」と思《おも》っていますと、もう一人《ひとり》の坊《ぼう》さんは、いきなりそこに座《すわ》っている三|人《にん》のうちの一人《ひとり》をそれは軽々《かるがる》と、かごでもつるすようにつるし上《あ》げて、庭《にわ》にほうり出《だ》しました。そして持《も》って来《き》たむちでその背中《せなか》をつづけざまに五十たび打《う》ちました。坊《ぼう》さんはぶたれながら、ひいひい悲《かな》しそうな声《こえ》を立《た》てましたが、あとの二人《ふたり》はどうすることもできないので、立《た》ったり、座《すわ》ったり、気《き》をもんでばかりいました。そのうちとうとう五十たびぶってしまうと、こんどは着物《きもの》をはがして、裸体《はだか》の上をまた五十たび打《う》ちました。すっかりでちょうど百たび打《う》った時《とき》、もうだんだん虫《むし》の鳴《な》くような声《こえ》でそれでもひいひいいっていた坊《ぼう》さんは、急《きゅう》に一声《ひとこえ》高《たか》く「ひひん。」と、馬《うま》のいななくような声《こえ》を出《だ》しました。その拍子《ひょうし》に顔《かお》が急《きゅう》に伸《の》びて、馬《うま》のような顔《かお》になりました。みるみる体《からだ》が馬《うま》になって、たてがみが立《た》って、しっぽがはえて、手足《てあし》を地《じ》びたにつけて、ひょいと立《た》ちますと、もうそれはりっぱな四|本《ほん》の足《あし》になって、砂《すな》をけっていました。それはどこから見《み》てもほんとうの馬《うま》に違《ちが》いはありませんでした。
 鬼《おに》の坊《ぼう》さんは、その馬《うま》にくつわをかませて綱《つな》をつけて、馬屋《うまや》へ引《ひ》いていきました。あとの二人《ふたり》は目の前《まえ》で自分《じぶん》の仲間《なかま》が馬《うま》になってしまったので、自分《じぶん》たちもいずれ同《おな》じめにあうのだろうと思《おも》うと、生《い》きたそらはないので、真《ま》っ青《さお》な顔《かお》をして、ぶるぶるふるえていました。するとさっきの鬼《おに》の坊《ぼう》さんは、また戻《もど》って来《き》て、こんどは二ばんめの坊《ぼう》さんを庭《にわ》に引《ひ》き下《お》ろして、同《おな》じようにむちで百たびぶちますと、これも馬《うま》になって、「ひひん。」といななきながら四《よ》つ足《あし》で立《た》ちました。その時《とき》鬼《おに》の坊《ぼう》さんはむちをほうり出《だ》して、
「ああ、くたびれた。少《すこ》し休《やす》もう。」
 といって、汗《あせ》をふきますと、あるじの坊《ぼう》さんも、
「どれ、飯《めし》を食《た》べて来《く》るかな。」
 といって、立《た》ち上《あ》がりました。そして行きがけに、もう一人《ひとり》残《のこ》ってふるえている坊《ぼう》さんをこわい目でにらめつけて、
「そこにじっとしていろ。すぐに戻《もど》って来《く》るから。」
 といって、もう一人《ひとり》の鬼《おに》の坊《ぼう》さんと奥《おく》へ入《はい》っていきました。

     二

 その後《あと》で坊《ぼう》さんは、心《こころ》の中で一生懸命《いっしょうけんめい》仏《ほとけ》さまにお祈《いの》りをしながら、「どうしたら逃《に》げられるか、せっかく逃《に》げ出《だ》しても、つかまって殺《ころ》されれば同《おな》じことだし、つかまらないまでも、この深《ふか》い山の中では、道《みち》に迷《まよ》って行《ゆ》き倒《だお》れになるばかりだ。」と思《おも》って、ぐずぐずしていますと、あるじの鬼《おに》がふいと奥《おく》から声《こえ》をかけて、
「裏《うら》の田《た》に水《みず》はあるか。」
 と聞《き》きました。坊《ぼう》さんはこわごわ立《た》って、戸《と》をあけて、裏手《うらて》をながめますと、そこに深《ふか》い田《た》が出来《でき》ていて、水《みず》がいっぱいあふれていました。「あの深《ふか》い水《みず》たまりの中に、自分《じぶん》たちをつき落《お》として殺《ころ》すつもりではないか。」と気味悪《きみわる》く思《おも》いながら、坊《ぼう》さんは戻《もど》って来《き》て、
「田《た》に水《みず》はございます。」
 と答《こた》えました。
 鬼《おに》は、
「ううん。」
 といって、またばりばり何《なに》かをかじって食《た》べる音《おと》がしました。なかなか大食《おおぐ》いだとみえて、さんざん食《た》べたり、飲《の》んだりして、こんどはおなかがくちくなると、鬼《おに》は二人《ふたり》とも、ぐうぐう高《たか》いびきをかいて寝込《ねこ》んでしまいました。
 鬼共《おにども》のいびきの音《おと》を聞《き》くと、坊《ぼう》さんはほっと息《いき》をつきながら、今《いま》のうちに逃《に》げ出《だ》そうと思《おも》って、もう真《ま》っ暗《くら》になった山道《やまみち》をやたらに駆《か》けていきました。やがて向《む》こうのこんもり木の茂《しげ》った中からぽつんと一つ明《あか》りが見《み》えて、家《うち》がそこにありました。こんどもまた鬼《おに》の住《すま》いではないかと、気味悪《きみわる》く思《おも》って、そっと前《まえ》を通《とお》り抜《ぬ》けて駆《か》けていきますと、うしろから、
「もしもし、どこへ行くのです。」
 とやさしい女の声《こえ》で声《こえ》をかけられました。坊《ぼう》さんはぎょっとしながら、振《ふ》り返《かえ》ってみますと、若《わか》い女でしたから、やっと安心《あんしん》して、
「道《みち》に迷《まよ》った旅《たび》の修行者《しゅぎょうじゃ》でございますが、三|人《にん》のうち二人《ふたり》まで仲間《なかま》をなくしてしまいました。」
 といって、今《いま》し方《がた》出会《であ》ったふしぎな出来《でき》ごとを残《のこ》らず話《はな》しました。すると女は大《たい》そう気《き》の毒《どく》がって、
「じつはわたしも鬼《おに》の娘《むすめ》です。永年《ながねん》あなたと同《おな》じような気《き》の毒《どく》なめにあった人を見《み》て知《し》っています。けれどもそれをどうして上《あ》げることもできませんでした。でもあなたはお気《き》の毒《どく》な人だから、助《たす》けて上《あ》げたいと思《おも》います。もう間《ま》もなく鬼《おに》がここまで追《お》っかけて来《く》るに違《ちが》いありませんから、少《すこ》しでも早《はや》く逃《に》げておいでなさい。これから一|里《り》ばかり行くと、わたしの妹《いもうと》がいます。そこへわたしから手紙《てがみ》をつけて上《あ》げます。」
 といって、手紙《てがみ》を書《か》いてくれました。
 坊《ぼう》さんは度々《たびたび》お礼《れい》をいって、手紙《てがみ》をもらって、また足《あし》にまかせて駆《か》けて行きました。なるほど一|里《り》ばかり行くと、松《まつ》のはえた山があって、その山の陰《かげ》に家《うち》がありました。そこへ入《はい》って、手紙《てがみ》を見《み》せますと、若《わか》い女が出て来《き》て、
「お気《き》の毒《どく》だから助《たす》けて上《あ》げたいと思《おも》いますが、あいにく今《いま》は悪《わる》い時刻《じこく》です。」
 といって、ふしぎそうな顔《かお》をしている坊《ぼう》さんを、いきなり戸棚《とだな》の中にかくしてしまいました。しばらくすると、どこからか血《ち》なまぐさい風《かぜ》が吹《ふ》いてきて、がやがや人の声《こえ》がしました。やがて入《はい》って来《き》たのは、これも恐《おそろ》しい顔《かお》をした鬼《おに》でした。そしてもう入《はい》って来《く》るなり鼻《はな》をくんくんやりながら、
「ふんふん、人くさいぞ。人くさいぞ。」
 とわめきました。
「ばかなことをいってはいけません。きっとけだものくさいの間違《まちが》いでしょう。」
 と女はいって、牛《うし》や馬《うま》の生々《なまなま》しい肉《
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