手のなかで、星のようにきらきらするのみぐすりをみただけで、おじけて引っこみました、それで、苦もなく、森もぬけ、すくも[#「すくも」に傍点]田もとおって、うずまきの流れもくぐってかえりました。
そこに、おとうさまの御殿がみえました。大きな舞踏《ぶとう》の間《ま》も、もうあかりが消えていました。きっともう、みんな寝たのでしょう。けれど、ひいさまも、いまはもうおしでしたし、このまま、ながいおわかれをしようというところでしたから、おねえさまたちを、さがしにはいっていこうとはしませんでした。もう、せつなくて、胸がはりさけるようでした。そっと、花園にはいって、おねえさまたちの花壇から、めいあいに、ひとつずつ花をつみとって、御殿のほうへ、指で、もうなんべんとしれないほど、おわかれのキッスをなげたのち、くらいあい色の海をぬけて、上へ上がっていきました。
[#挿絵(fig42383_03.png)入る]
ひいさまが、王子のお城をみつけて、そこのりっぱな階段を上がっていったとき、お日さまはまだのぼっていませんでした。お月さまだけが、うつくしくさえていました。人魚のひいさまは、やきつくように、つんとつよいくすりをのみました。すると、きゃしゃなふしぶしに、するどいもろ刄のつるぎを、きりきり突きとおされたようにかんじて、それなり気がとおくなり、死んだようになってたおれました。やがて、お日さまの光が、海の上にかがやきだしたとき、ひいさまは目がさめました。とたんに、切りさかれるような痛みをかんじました。けれど、もうそのとき、すぐ目のまえには、うつくしいわかい王子が立っていました。王子は、うるしのような黒い目でじっとひいさまをみつめていました。はっとして、ひいさまは目を伏せました。すると、あのおさかなのしっぽは、きれいになくなっていて、わかいむすめだけしかないような、それはそれはかわいらしい、まっ白な二本の足とかわっているのが、目にはいりました。でも、まるっきり、からだをおおうものがないので、ひいさまは、ふっさりとこくながい髪の毛で、それをかくしました。王子はそのとき、いったい、あなたはたれかどこから来たのかといって、たずねました。ひいさまは、王子の顔を、やさしく、でも、あくまでかなしそうに、そのこいあい色の目でみあげました。もう、口をききたくもきけないのです。そこで、王子はひいさまの手をとって、お城のなかへつれていきました。なるほど、魔女があらかじめいいきかせていたように、ひいさまは、ひと足ごとに、とがった針か、するどい刄ものの上をふんであるくようでしたが、いさんで、それをこらえました。王子の手にすがって、ひいさまは、それこそシャボン玉のようにかるく上がっていきました。すると、王子もおつきの人たちもみんな、ひいさまのしなやかな、かるい足どりをふしぎそうに見ました。
さて、ひいさまは、絹とモスリンの高価な着物をいただいて着ました。お城のなかでは、たれひとりおよぶもののないうつくしさでした。けれど、おしで、歌をうたうことも、ものをいうこともできません。絹に金のぬいとりした着物を着かざったうつくしい女のどれいたちがでて来て、王子と、王子のご両親の王さま、お妃《きさき》さまのご前で歌をうたいました。そのなかでひとり、たれよりもひときわじょうずによくうたう女があったので、王子は手をたたいてやって、そのほうへにっこりわらいかけました。でも、人魚のひいさまは、じぶんなら、はるかずっといい声でうたえるのにとおもって、かなしくなりました。そこで、
「ああ、王子さまのおそばに来たいばかりに、あたしは、みらいえいごう、声をひとにやってしまったのです。せめて、それがおわかりになったらね。」と、ひいさまはおもっていました。
こんどは、女のどれいたちが、それはけっこうな音楽にあわせて、しとやかに、かるい足どりで、おどりました。すると、人魚のひいさまも、うつくしい白い腕をあげて、つま先立ちして、たれにもまねのならないかるい身のこなしで、ゆかの上をすべるようにおどりあるきました。ひとつひとつ、しぐさをかさねるにしたがって、この人魚のひいさまの世にないうつくしさが、いよいよ目に立ちました。その目のはたらきは、どれいたちの女の歌とくらべものにならない、ふかいいみを、見る人びとのこころに語っていました。
そこにいた人たちは、たれも、酔ったようになっていました。とりわけ、王子は、ひいさまの名を「かわいいひろいむすめさん」とつけてよろこんでいました。ひいさまは、いくらでもおどりつづけました。そのくせ地に足がふれるたんびに、するどい刄ものの上をふむようでした。王子は、いつまでもじぶんの所にいるようにといって、すぐじぶんのへやのまえの、びろうどのしとねにねることをゆるしました。
王子は、ひいさまを馬にのせてつれてあるけるように、男のお小姓《こしょう》の着る服をこしらえてやりました。ふたりは、いいにおいのする森のなかを、馬であるきました。すると、みどりのこい木の枝が、ふたりの肩にさわったり、小鳥たちが、みすみずしい葉かげで歌をうたいました。ひいさまは、王子について、たかい山にものぼりました。そんなとき、きゃしゃな[#「きゃしゃな」は底本では「きゃしな」]足から血がながれて、ほかのひとたちの目につくほどになっても、ひいさまはわらっていました。そうして、どこまでも王子にくっついていって、雲が、よその国へわたっていく鳥のむれのように、とんでいるところを、はるか目のしたにながめました。
うちで、王子のお城のなかにいるとき、夜な夜な、ほかのひとたちのねむっているあいだに、ひいさまは、大理石の階段のうえに出ました。そうして、もえるような足を、つめたい海の水にひたしました。そうしているうち、はるか下の海のそこの、わかれて来たひとたちのことが、こころにうかんで来ました。
そういう夜のつづいているとき、ある晩、夜ぶかく、人魚のおねえさまたちが、手をつなぎあってでて来ました。波のうえにうきながら、おねえさまたちは、かなしそうにうたいました。ひいさまが手まねきして知らせると、むこうでもみつけて、あちらでは、みんな、どんなにさびしがっているか話してきかせました。それからは、毎晩のように、このおねえさまたちはでて来ました。いちどなどは、もう何年とないひさしい前から、海の上にでておいでにならなかつたおばあさまの姿を、とおくでみつけました。かんむりをおつむりにのせたおとうさまの人魚の王さまも、ごいっしょのようでした。おばあさまも、おとうさまも、ひいさまのほうへ手をさしのべましたが、おねえさまたちのようには、おもいきっておか近くへ寄りませんでした。
日がたつにつれて、王子はだんだん人魚のひいさまが好きになりました。王子は、心のすなおな、かわいいこどもをかわいがるように、ひいさまをかわいがりました。けれど、このひいさまを、お妃《きさき》がしようなんということは、まるっきりこころにうかんだことがありません。でも、ひいさまとしては、どうしても王子のおよめにしていただかなければ[#「いただかなければ」は底本では「いただなければ」]、もう死なないたましいのさずかるみちはありません。そうして、王子がほかのお妃をむかえた次の朝、海のあわになってきえなければなりませんでした。
「わたくしを、だれよりもいちばんかわいいとはおおもいにならなくて。」と、王子が人魚のひいさまを腕にかかえて、そのうつくしいひたえにほおをよせるとき、ひいさまの目は、そうたずねているようにみえました。
「そうとも、いちばんかわいいとも。」と、王子はいいました。「だって、おまえはだれよりもいちばんやさしい心をもっているし、いちばん、ぼくをだいじにしてつかえてくれる。それに、ぼくがいつかあったことがあって、それなりもう二どとはあえまいとおもうむすめによく似ているのだよ。ぼくはあるとき、船にのって、難破《なんぱ》したことがあった、波がぼくを、あるとうといお寺のちかくの浜にうち上げてくれた。そのお寺にはおおぜい、わかいむすめたちが、おつとめしていた。そのなかでいちばんわかい子が、ぼくを浜でみつけて、いのちをたすけてくれた。ぼくは、その子を二どみただけだった。その子だけが、ぼくのこの世の中で好きだとおもったただひとりのむすめだった。ところで、おまえがそのむすめに生きうつしなのだ。あまり似ているので、ぼくの心にのこっていたせんのむすめのすがたが、いまではどうやらとおくにおしのけられそうだ。そのむすめは、とうといお寺につかえているむすめだから、ぼくの幸運の神さまが、その子のかわりに、おまえをぼくのところへよこしてくれたのだ。いつまでもいっしょにいようね。」――
「ああ、あの方は、あの方のおいのちをたすけてあげたのは、このあたしだということをお知りにならないのね。」と、人魚のひいさまはおもいました。「あたし、あの方をかかえて海の上を、お寺のある森の所まではこんであげたのだわ。あたし、そのとき、あわのかげにかくれて、たれかひとは来ないかみていたのだわ。あの方が、あたしよりもっと好きだとおっしゃるそのうつくしいむすめも、みて知っている。」と、ここまでかんがえて、人魚のひいさまは、ふかいため息をしました。人魚は泣きたくも泣けないのです。「でも、そのむすめさんは、とうといお寺につかえている身だから、世の中へでてくることはないと、あの方はおっしゃった。おふたりのあうことはきっともうないのね。あたしはこうしてあの方のおそばにいる。まいにち、あの方のお顔をみている。あたし、あの方をよくいたわってあげよう。あの方にやさしくしよう、あたしのいのちを、あの方にささげよう。」
ところが、そのうちに、王子がいよいよ結婚することになった、おとなりの王国のきれいなお姫さまをお妃《きさき》にむかえることになった、といううわさが立ちました。そのために、王子さまは、りっぱな船を一そう、おしたてさせになったともいいました。
こんどの王子の旅行は、おもてむき、おとなりの王国を見学《けんがく》にいかれるということになっているけれど、じつは王さまのお姫さまにあいにいくのだということでした。たくさんのおともの人数《にんず》もきまっていました。でも、人魚のひいさまは、つむりをふって、にっこりしていました。
王子の心は、たれよりもよく、このひいさまに分かっているはずでした。
「ぼくは旅をしなければならないよ。」と、王子は人魚のひいさまにいいました。「きれいな王女のお姫さまにあいにいくのさ。おとうさまとおかあさまのおのぞみでね。だが、ぜひともそのお姫さまをぼくのおよめにもらって来いというのではないよ。だが、ぼくはそのお姫さまが好きにはなれまいよ。おまえがそれにそっくりだといった、あのお寺のきれいなむすめには似ていないだろうからね。そのうち、どうしてもおよめえらびをしなければならなくなったら、ぼくはいっそおまえをえらぶよ。口はきけないかわり、ものをいう目をもっている、ひろいむすめのおまえをね。」
こういって、王子は、ひいさまのあかいくちびるにくちをつけました。それからながい髪の毛をいじって、その胸に顔をおしつけました。それだけでもうひいさまのこころには、人間にうまれた幸福と、死なないたましいのことが、夢のようにうかびました。
「でも、おしのひろいむすめさんは、海をこわがりはしないだろうね。」と、王子はいいました。そのとき、ふたりは、おとなりの王さまの国へ行くはずのりっぱな船の上にいました。それから王子に、海のしけ[#「しけ」に傍点]となぎ[#「なぎ」に傍点]のこと、海のそこのふしぎな魚のこと、そこで潜水夫《せんすいふ》のみて来ていることなどを、なにくれと話しました。でも、話のなかで、ひいさまはついほほえみかけました。そうでしょう、海のそこのことなら、たれがなんといったって、このひいさまにかなうものはないでしょうから。
月のいい晩で、舵《かじ》の所に立っている舵とりひとりのこして、船のなかの人たちはみん
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