張りめぐらされていました。ばら色や草みどり色した大きな貝がらが、なん百としれず、四方の壁にかけつらねてあって、そのひとつひとつに、青いほのおの火がともっていました。それが広間をくまなくてらした上、壁のそとへながれだす光が、すっかり海をあかるくしました。ですから、大も小もなく、それこそかぞえきれないほどのさかなが、ガラスの壁にむかっておよいでくるのが、手にとるようにみえました。うろこをむらさき紅の色に光らせてくるのもありました。銀と金の色にかがやいてくるものもありました。――ちょうど、広間のまん中のところを、ひとすじ、大きくゆるやかな海のながれがつらぬいている、その上で、男の人魚たちと女の人魚たちとが、人魚だけのもっているやさしい歌のふしでおどっていました。こんなうつくしい歌声が、地の上の人間にあるでしょうか。あのいちばん下の人魚のひいさまは、そのなかでも、たれおよぶもののないうつくしい声でうたいました。みんないちどに手をたたいて、その歌をほめそやしました。そのせつな、さすがにこのひいさまも心がうかれました。それは、地の上はもちろん、海のなかにもまたふたりとないうつくしい声を、じぶんがもっていることが分かったからでした。でも、すぐとまた、上の世界のことをかんがえるいつものくせに引きこまれました。あのうつくしい王子のことをわすれることはできませんし、あのひととおなじに、死なないたましいをもっていないことが心をくるしめました。そこで、こっそり、ひいさまは、おとうさまの御殿をぬけだしました。そうして、たれもそこで、歌って、陽気にうかれているまに、しぶんひとり、れいのちいさい花壇のなかに、しょんぼりすわっていました。そのとき、ひとこえ角笛《つのぶえ》のひびきが、海の水をわたって来ました。その音《ね》をききながら、ひいさまはおもいました。
「まあ、いまごろ、あの方きっと、帆船《ほぶね》をはしらせていらっしゃるのね。ほんとうに、おとうさまよりもおかあさまよりももっと好きなあの方が、しじゅうあたしのこころからはなれないあの方が、そのお手にあたしの一生の幸福をささげようとねがっているあの方が、あそこにいらっしゃるのね。あたし、どうぞして[#「どうぞして」は底本では「とうぞして」]、死なないたましいが手にはいるものなら、どんなことでもしてみるわ。そうだ、おねえさまたちが、御殿でおどっていらっしゃるうち、あたし、海の魔女《まじょ》の所へ行ってみよう。いつもはずいぶんこわいのだけれど、でもきっと、あの女なら相談相手になって、いいちえをかしてくれるでしょう。」
 そこで、人魚のひいさまは、花園をでて、ぶつぶつあわ立つうず巻の流れのなかへむかっていきました。このうず巻のむこうに、魔女のすまいがありました。こんな道をとおるのははじめてのことでした。そこには花も咲いていず、藻草《もぐさ》も生えていません。ただむきだしな灰いろの砂地が、うずのながれの所までつづいていて、そのながれはうなりを立てて、水車の車輪のようにくるりくるりまわっていました。そうして、このうず巻のなかにはいってくるものは、なんでもつかまえて、こなごなにくだいて、ふかいふちに引きこみました。このはげしいうずのながれの、しかもまん中をとおって行くほかに海の魔女の領分《りょうぶん》にはいる道はありませんし、それも、ながいあいだ、ぶつぶつ煮えて、あわだっているどろ沼をわたって行くよりほかに道はないのです。この沼を、[#「、」は底本では「。」]じぶんのすくも[#「すくも」に傍点]田という名で魔女はよんでいました。これを行きつくした奥に、きみのわるい森が茂っていて、そのなかに魔女の住居はありました。その森のなかの木立《こだち》もやぶも、半分は動物、半分は植物というさんご虫なかまで、それはいわば、百あたまのあるへびが、地のなかから、にょろにょろわき出ているようなものでした。その一本一本の枝が、ながい、ねばねばした腕で、くなくなと、さなだ虫のような指が出ていました。そうして下の根もとから枝のずっとさきまで、ふしぶしが自由にうごきました。ですから、海のなかで手につかめるものは、なんでもつかんで、しっかりとそれにからみついて放そうとはしません。人魚のひいさまは、すっかりおびえて、そのまえに立ちすくみました。もうおそろしくて、心臓《しんぞう》がどきどき波をうって、なんべんもそこから引きかえそうとおもいました。でもまた王子のことと、人間のたましいのことをおもうと、勇気がでました。ひいさまは、そこでまず、うるさくまつわるながい髪の毛を、しっかりあたまにまきつけて、さんご虫につかまらないようにしました。それから、両手を胸の上で重ねて、おさかなが水のなかをつういとつっきるように、いやらしいさんご虫どもが、くなくなした指と腕とをのばそうとしているなかをつっきって行きました。まあ、このいやな虫は、みると、そのひとつひとつが、そのつかんだものを、まるでつよい鉄の帯でしめつけるように、そのなん百とないちいさな腕で、ぎりぎりつかまえていました[#「いました」は底本では「いましに」]。海でおぼれて、このふかい底までしずんだ人間が、白骨になって、さんご虫の腕のあいだにちらちらみえていました。船のかいや箱のようなものまでも、さんご虫はしっかりつかまえていました。おかの動物のがい骨もありましたが、人魚のむすめがひとり、つかまってしめころされているのが、なかでもおそろしいことにおもわれました。
 やがて、ひいさまは、森のなかの広場のぬるぬるすべる沼のような所へ来ました。そこには脂ぶとりにふとった水へびが、くねくねといやらしい白茶《しらちゃ》けた腹をみせていました[#「いました」は底本では「いましだ」]。この沼のまんなかに、難船した人たちの白骨でできた家がありました。その家に、海の魔女はすわっていて、一ぴきのひきがえるに、口うつしでたべさせているところでしたが、そのようすは、人間がカナリヤのひなにお砂糖をつつかせるのに似ていました。あのいやらしく、肥ぶとりした水へびを、魔女はまた、うちのひよっ子と名をつけて、じぶんのぶよぶよ大きな胸の上で、かってにのたくらせていました。
「ご用むきはわかっているよ。」と、海の魔女はいいました。「ばかなことかんがえているね。だが、まあ、したいようにするほかはあるまい、そのかわり、べっぴんのおひいさん、その男ではさぞつらいめをみることだろうよ。おまえさん。そのおさかなのしっぽなんかどけて、かわりに二本のつっかい棒をくっつけて、人間のようなかっこうであるきたいのだろう。それでわかい王子をつって、ついでに死なないたましいまで、手に入れようってのだろう。」
 こういって、魔女はとんきょうな声をたてて、うすきみわるくわらいました。そのひびきで、かえるもへびも、ころころところげおちて、のたくりまわっていました。
「おまえさん、ちょうどいいときに来なすったよ。」と、魔女はいいました。「あしたの朝、日が出てしまうと、もうそのあとでは、また一年まわってくるまで、どうにもしてあげられないところだったよ。では、くすりを調合《ちょうごう》してあげるから、それをもって、日の出る前、おかの所までおよいでいって、岸に上がって、それをのむのだよ。すると、おまえさんのそのしっぽが消えてなくなって、人間がかわいい足と、名をつけているものにちぢまる。だが、ずいぶん痛かろうよ。それはちょうど、するどいつるぎを、からだにつッこまれるようだろうよ。さて、出あったものは、たれだって[#「たれだって」は底本では「だれたって」]、おまえさんのことを、こんなきれいな人間のむすめを見たことがないというだろう。おまえさんが浮くようにかるく足をはこぶところは、人間の踊り子にまねもできまい。ただ、ひと足ごとに、おまえさん、するどい刄物をふむようで、いまにも血がながれるかとおもうほどだろうよ。それをみんながまんするつもりなら、相談にのって上げる。」
「ええ、しますわ。」と、人魚のひいさまは、声をふるわせていいました。そうして、王子のことと、それから、死なないたましいのことを、しっかりとおもっていました。
「でも、おぼえておいで。」と、魔女はいいました。「おまえさんは、いちど人間のかたちをうけると、もう二どと人魚にはなれないのだよ。海のなかをくぐって、きょうだいたちのところへも、おとうさんの御殿へもかえることはできないし、それから王子の愛情にしても、もうおまえさんのためには、おとうさんのこともおかあさんのこともわすれて、あけてもくれてもおまえさんのことばかりを、かんがえていて、もうこの上は、お坊さんにたのんで、王子とおまえさんとふたりの手をつないで、晴れてめおととよばせることにするほかない、というところまでいかなければ、やはり、死なないたましいは、おまえさんのものにはならないのだよ。それがもしかちがって、王子がほかの女と結婚するようなことになると、もうそのあくる朝、お前さんの心臓《しんぞう》はやぶれて、おまえさんはあわになって海の上にうくのだよ。」
「かまいません。」と、人魚のひいさまはいいました。けれど、その顔は死人のように青ざめていました。
「ところで、おまえさん、お礼もたっぷりもらわなきゃならないよ。」と、魔女はいいました。「どうして、わたしののぞむお礼は、お軽少《けいしょう》なことではないよ。おまえさんは、この海の底で、だれひとりおよぶもののないうつくしい声をもっておいでだね。その声で、たぶん、王子をまよわそうとおもっているのだろう。ところが、その声をわたしはもらいたいのだよ。そのおまえさんのもっているいちばんいいものを、わたしのだいじな秘薬《ひやく》とひきかえにしようというのさ。なにしろそのくすりには、わたしだって、じぶんの血をまぜなくてはならないのだからね。それで、くすりにも、もろ刄のつるぎのようなするどいききめがあらわれようというものさ。」
「でも、あたし、声をあげてしまったら、」と、ひいさまは、いいました。「あとになにがのこるのでしょう。」
「なあに、まだ、そのうつくしいすがたが、」と、魔女はいいました。「それから、そのかるい、うくようなあるきつきが、それから、そのものをいう目があるさ。それだけで、りっぱに人間のこころをたぶらかすことはできようというものだ。はてね、勇気がなくなったかね。さあ、その舌をお出し、それを代金にはらってもらう。そのかわり、よくきくくすりをさし上げるよ。」
「ええ、そうしてください。」と、人魚のひいさまはいいました。そこで、魔女は、おなべを火にかけて、魔法ののみぐすりを煮はじめました。
「ものをきれいにするのは、いいことさ。」と、魔女はいって、へびをくるくるとむすびこぶにまるめて、それでおなべをみがきました。それからじぶんの胸をひっかいて、黒い血をだして、そのなかへたらしこみました。その湯気が、なんともいえないふしぎなきみのわるい形で、むくむくと立って、身の毛もよだつようでした。
 魔女はしじゅうそれからそれと、なにくれとおなべのなかへ投げ込んでいました。やがて、ぼこぼこ煮え立ってくると、それが*わにの泣き声に似た音を立てました。とうとう、のみぐすりが煮え上がりましたが、それはただ、すみ切った水のようにみえました。
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*わにはこどもの泣声に似た声をだしておびきよせるという西洋中世のいいつたえがある。
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「さあ、できましたよ。」と、魔女はいいました。
 そこで、のみぐすりをわたして、代りにひいさまの舌を切りました。もうこれで、ものもいえず、歌もうたえない、おしになったのです。
「もしか、かえりみちに、森のなかをとおって、さんご虫どもにつかまりそうになったらね。」と、魔女はいいました。「このくすりをたった一てきでいい、たらしておやり、そうすると、やつら、腕も指もばらばらになってとんでしまう。」
 けれど人魚のひいさまは、そんなことをしないでもすみました。さんご虫は、ひいさんの
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