た。たかい、青い山山のいただきに、ふんわり雪がつもって、きらきら光っているのが、ちょうどはくちょう[#「はくちょう」に傍点]が寝ているようでした。そのふもとの浜ぞいには、みどりみどりした、うつくしい森がしげっていて、森をうしろに、お寺か、修道院《しゅうどういん》かよくわからないながら、建物がひとつ立っていました。レモンとオレンジの木が、そこの園にしげっていて、門の前には、せいのたかいしゅろの木が立っていました。海の水はそこで、ちいさな入江をつくっていて、それは鏡のようにたいらなまま、ずっとふかく、す[#「す」に傍点]のところまで入りこんでいて、そこにまっしろに、こまかい砂が、もり上がっていました。ひいさまは、王子をだいてそこまでおよいでいって、ことに、あたまの所をたかくして、砂の上にねかせました。これはあたたかいお日さまの光のよくあたるようにという、やさしい心づかいからでした。
そのとき、そこの大きな白い建てもののなかから、鐘がなりだしました。そうして、その園をとおって、わかい少女たちがおおぜい、そこへでて来ました。そこで、人魚のひいさまは、ずっとうしろの水の上に、いくつか岩の突き出ている所までおよいでいって、その陰にかくれました。たれにも顔のみえないように、髪の毛にも胸にも、海のあわをかぶりました。こうしてきのどくな王子のそばへ、たれがまずやってくるか、気をつけてみていました。
もうまもなく、ひとりのわかいむすめが、そこへ来ました。むすめはたいへんおどろいたようでしたが、ほんのちょっとのあいだで、すぐとほかの人たちをつれて来ました。人魚のひいさまがみていますと、王子はとうとういのちをとりとめたらしく、まわりをとりまいているひとたちに、にんまりほほえみかけました。けれど、ひいさまのほうへは笑顔《えがお》をみせませんでした。ひいさまにたすけてもらったことも、王子はまるで知りませんでした。ひいさまは、ずいぶんかなしくおもいました。そのうち、王子は、大きな建てもののなかへはこばれていってしまうと、ひいさまも、せつないおもいをしながら水にしずんで、そのまま、おとうさまの御殿へかえっていきました。
いったいに、いつもものしずかな、ふかくおもい込むたちのひいさまでしたけれど、これからは、それがよけいひどくなりました。おねえさまたちは、この妹が、海の上ではじめてみて来たものがなんであったか、たずねましたが、ちょっぴりともその話はしませんでした。
[#挿絵(fig42383_02.png)入る]
晩に、朝に、いくたびとなく、このひいさまは、王子をおいて来た浜ちかく上がっていってみました。園のくだものが実のって、やがてもがれるのもみました。山山のいただきに、雪の消えるのもみました。けれども、ひいさまは、もう王子のすがたをみることはありませんでした。そうして、そのたんびに、いつもよけいせつないおもいでかえって来ました。こうなると、ただひとつのたのしみは、れいのちいさな花壇のなかで、うつくしい王子に似た大理石の像に、両腕をかけることでした。けれども花壇の花にはもうかまわなくなりました。それは、路のうえまで茂りほうだいしげって、そのながくのびたじくや葉を、あたりの木の枝に、所かまわずからみつけましたから、そこらはどこも、おぐらくなっていました。
とうとう、いつまでもこうしているのが、ひいさまにはたえられなくなりました。それで、ひとりのおねえさまにうちあけますと、やがて、ほかのおねえさまたちの耳にもはいりました。でも、このひいさまたちと、そのほかに二、三人の、海おとめたちのほかたれ知るものはなく、そのおとめたちも、ただごく仲のいいお友だちのあいだでその話をしただけでした。ところで、そのお友だちのうちに、ひとり、王子を知っているむすめがありました。それから、あの晩、船の上でお祝のあったこともみていました。そのむすめは、王子がどこから来たひとで、その王国がどこにあるかということまで知っていました。
「さあ、いってみましょうよ。」と、おねえさまたちは、いちばん下のちいさい妹をさそいました。そうして、おたがい腕を肩にかけて、ながい列を組んで、海の上にうき上がりました。そこは王子の御殿のあるときいた所でした。
その御殿は、クリーム色に光をもった石で建てたものでしたが、そこのいくつかある大理石の階段のうち、ひとつはすぐと海へおりるようになっていました。平屋根の上には、一だんたかく、金めっきしたりっぱな円屋根《まるやね》がそびえていました。建物のぐるりをかこむ円柱《まるばしら》のあいだに、いくつもいくつも大理石の像が、生きた人のようにならんでいました。たかい窓にはめ込んだあかるいガラスをすかすと、なかのりっぱな広間がみえました。その広間の壁には、高価な絹のとばりや壁かけがかかっていました。壁という壁は、名作の画でかざられていて、みるひとの目をたのしませました。こういう広間のいくつかあるなかの、いちばんの大広間のまんなかに、大きな噴水がふきだしていて、そのしぶきは、ガラスの円天井《まるてんじょう》まで上がっていましたが、その天井からは、お日さまがさしこんで、噴水の水と大|水盤《すいばん》のなかにういている、うつくしい水草の上にきらきらしていました。
こうして王子のすみかがわかると、それからは、もう夕方から夜にかけて、毎晩のように、そこの水の上に、妹のひいさまはでてみました。もうほかの人魚たちのいきえない丘ちかくの所までも、およいでいきました。ついには、せまい水道のなかにまでくぐって、そのながい影を水の上に投げている大理石の露台《ろだい》の下までもいってみました。そこにじいっといて、みあげると、わかい王子が、じぶんひとりいるつもりで、あかるいお月さまの光のなかに立っていました。
夕方、たびたび、王子はうつくしいヨットに帆をはって、音楽をのせて、風に旗を吹きなびかせながら、海の上を走らせるところを、ひいさまは見ました。ひいさまは、それを青青としげったあしの葉のあいだからすきみしました。すると風が来て、ひいさまの銀いろしたながいヴェールをひらひらさせました。たまにそれを見たものは、はくちょう[#「はくちょう」に傍点]がつばさをひろげたのだとおもいました。
夜な夜な、船にかがりをたいて、りょうに出るりょうしたちからも、ひいさまはたびたび、わかい王子のいいうわさをききました。そうして、そんなにもほめものになっているひとが波の上に死にかけてただよっているところを、じぶんがすくったのだとおもってうれしくなりました。それから、あのとき、あの方のおつむりは、なんておだやかにあたしの胸のうえにのっていたことかしら、それをあたしはどんなに心をこめて、ほおずりしてあげたことかしらとおもっていました。そのくせ、王子のほうでは、むろんそういうことをまるで知りませんでした。つい、夢にすらみてはくれないのです。
だんだんに、だんだんに、人間というものが、とうとくおもわれて来ました。だんだんに、だんだんに、どうぞして人間のなかまにはいっていきたいと、ねがうようになりました。人間の世界は、人魚の世界にくらべて、はるかに大きくおもわれました。人間は、船にのって海の上をとびかけることもできますし、雲よりもたかい山にのぼることもできました。人間のいる国ぐにには森も畑もあって、それは人魚の目のとどかないとおくまではてしなくひろがっていました。そこで、このひいさまの知りたいことは山ほどあっても、おねえさまたちのちからでは、そののこらずにこたえることはできません。ですから、おばあさまにうかがうことにしました。このあばあさまはさすがに、上の世界のことをずっとよく知っておいでになりました。上の世界というのは、このおばあさまが、まことにうまく、海の上の国ぐにに名づけたものでした。
「ねえ、おばあさま、人間は、水におぼれさえしなければね、」と、ひいさまはたずねました。「それはいつまででも生きられるのでしょう。あたしたち海のそこのもののようには死なないのでしょう。」
「どうしてさ。」と、おばあさまは、おっしゃいました。「人間だって、やはり死ぬのですよ。わたしたちよりも、かえって寿命《じゅみょう》はみじかいくらいです。わたしたちは三百年まで生きられます。ただ、いったん、それがおわると、それなり、水の上のあわになって、おたがいむつまじくして来たひとたちのなかに、お墓ひとつのこしては行けません。わたしたちには、死なないたましい[#「たましい」に傍点]というものがないのだよ。またの世にうまれかわるということがないのだよ。いわば、あのみどり色したあしのようなもので、いちど刈りとられると、もう二どと青くなることがない。そこへいくと、人間にはたましいというものがあって、それがいつまででも生きている、からだが土にかえってしまったあとでも、たましいは生きている。それが、澄んだ大空の上にのぼって、あのきらきら光るお星さまの所へまでものぼって行くのです。ちょうど、わたしたちが、海の上にうき上がって、人間の国をながめるように、人間のたましいは、わたしたちにとても見られない、知らない神さまのお国へうかび上がっていくのです。」
「なぜ、あたしたち、死なないたましいをさずからなかったの。」と、人魚のひいさまは、かなしそうにいいました。「あたし、なん百年の寿命なんてみんなやってしまってもいいわ。そのかわり、たった一日でも人間になれて、死んだあとで、その天国とやらの世界へのぼるしあわせをわけてもらえるならね。」
「まあ、そんなことをおもうものではないよ。」と、おばあさまはおっしゃいました。「わたしたちは、あの上の世界の人間なんかより、ずっとしあわせだし、ずっといいものなのだからね。」
「でも、あたし、やはり死んであわになって、海の上にういて、もう波の音楽もきかれないし、もうきれいな花もみられないし、赤いお日さまもみられなくなるのですもの。どうにかして、ながいいのちのたましいを、さずかるくふうってないものかしら。」
「それはあるまいよ。」と、おばあさまはいいました。「だがね、こういうことはあるそうだよ。ここにひとり人間があってね、あなたひとりが好きになる。そう、その人間にとっては、あなたというものが、おとうさまやおかあさまよりもいいものになるのだね。そうして、それこそありったけのまごころとなさけで、あなたひとりのことをおもってくれる。そこで、お坊さまが来て、その人間の右の手をあなたの右の手にのせて、この世も、ながいながいのちの世もかわらない、かたい約束を立てさせる。そうなると、その人間のたましいがあなたのからだのなかにながれこんで、その人間のしあわせを分けてもらえることになる。しかも、その人間はあなたにたましいを分けても、じぶんのたましいはやはりなくさずにもっているというのさ。だが、そんなことはけっしてありっこないよ。だって、この海のそこの世界でなによりうつくしいものにしているおさかなのしっぽを、地の上ではみにくいものにしているというのだもの。それだけのよしあしすら、むこうはわからないものだから、むりに二本、ぶきような、つっかい棒みたいなものを、かわりにつかって、それに足という名をつけて、それでいいつもりでいるのだよ。」
そういわれて、人魚のひいさまも、いまさらため息しながら、じぶんのおさかなの尾にいじらしくながめ入りました。
「さあ、陽気になりましょう。」と、おばあさまはいいました。「せっかくさずかることになっている三百年の寿命です。そのあいだは、好きにおどってはねてくらすことさ。それだけでもずいぶんながい一生ですよ。それだけに、あとはきれいさっぱり、安心して休めるというものだ。今夜は宮中|舞踏会《ぶとうかい》をやりましょう。」
さて、この舞踏会が、なるほど、地の上の世界では見られないごうか[#「ごうか」に傍点]なものでした。大きな舞踏の間の壁と天井《てんじょう》とは、あつぼったい、そのくせ、よくすきとおったガラスで
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