って来《き》たのでした。けれども摂津国《せっつのくに》まで来《く》ると、大国主命《おおくにぬしのみこと》に止《と》められて、陸《おか》へ上《あ》がることができないので、しばらくは海《うみ》の上に住《す》んでいました。けれどそこの海《うみ》からは、どうしても日本《にっぽん》の国《くに》へ入《はい》る望《のぞ》みがないので、ぐるりと外《そと》を回《まわ》って、但馬国《たじまのくに》から上《あ》がりました。そしてしばらく暮《く》らしているうちに、土地《とち》の人をお嫁《よめ》にもらって、とうとうそこに居《い》ついてしまいました。
 この天日矛《あまのひぼこ》の八|代《だい》めの孫《まご》に当《あ》たる人が、後《のち》に神功皇后《じんぐうこうごう》のお母君《ははぎみ》になった方《かた》です。それから垂仁天皇《すいにんてんのう》のおいいつけで、はるかな海《うみ》を渡《わた》って、常世《とこよ》の国《くに》までたちばなの実《み》を取《と》りに行った田道間守《たじまもり》は、天日矛《あまのひぼこ》には五|代《だい》めの孫《まご》でした。
 また天日矛《あまのひぼこ》はこちらへ渡《わた》って来《く》る
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