すめ》を自分《じぶん》のお嫁《よめ》にもらいました。
 そのお嫁《よめ》さんは、毎日《まいにち》いろいろとめずらしいごちそうをこしらえて、王子《おうじ》に食《た》べさせていました。そのうち王子《おうじ》はだんだんわがままをいうようになって、しまいにはお嫁《よめ》さんをひどくしかりとばしたりしました。
 するとお嫁《よめ》さんも、とうとうがまんができなくなって、
「わたしはもうこれぎり生《う》まれた国《くに》へ帰《かえ》ってしまいます。もともとわたしはあなたのような人のお嫁《よめ》になって、ばかにされるために生《う》まれた女ではないのです。」
 といって、おこって一人《ひとり》ずんずん小舟《こぶね》に乗《の》って、日本《にっぽん》の国《くに》へ逃《に》げて行きました。そして摂津《せっつ》の難波《なにわ》の津《つ》まで来《き》てそこに住《す》みました。それが後《のち》に、阿加流姫《あかるひめ》の神《かみ》という神《かみ》さまにまつられました。
 新羅《しらぎ》の王子《おうじ》の天日矛《あまのひぼこ》は、このお嫁《よめ》さんの後《あと》を追《お》って、日本《にっぽん》の国《くに》へ渡《わた》って来《き》たのでした。けれども摂津国《せっつのくに》まで来《く》ると、大国主命《おおくにぬしのみこと》に止《と》められて、陸《おか》へ上《あ》がることができないので、しばらくは海《うみ》の上に住《す》んでいました。けれどそこの海《うみ》からは、どうしても日本《にっぽん》の国《くに》へ入《はい》る望《のぞ》みがないので、ぐるりと外《そと》を回《まわ》って、但馬国《たじまのくに》から上《あ》がりました。そしてしばらく暮《く》らしているうちに、土地《とち》の人をお嫁《よめ》にもらって、とうとうそこに居《い》ついてしまいました。
 この天日矛《あまのひぼこ》の八|代《だい》めの孫《まご》に当《あ》たる人が、後《のち》に神功皇后《じんぐうこうごう》のお母君《ははぎみ》になった方《かた》です。それから垂仁天皇《すいにんてんのう》のおいいつけで、はるかな海《うみ》を渡《わた》って、常世《とこよ》の国《くに》までたちばなの実《み》を取《と》りに行った田道間守《たじまもり》は、天日矛《あまのひぼこ》には五|代《だい》めの孫《まご》でした。
 また天日矛《あまのひぼこ》はこちらへ渡《わた》って来《く》る
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