のからすは、関東《かんとう》のからすと顔《かお》を見合《みあ》わせて、あざけるように、かあかあと笑《わら》いました。そしてまた関東《かんとう》のからすは東《ひがし》へ、京都《きょうと》のからすは西《にし》へ、別《わか》れて飛《と》んでいってしまいました。
 からすの言葉《ことば》を聞《き》いて、童子《どうじ》は早速《さっそく》占《うらな》いを立《た》ててみると、なるほどからすのいったとおりに違《ちが》いありませんでしたから、おとうさんの前《まえ》へ出て、その話《はなし》をして、
「どうか、わたしを京都《きょうと》へ連《つ》れて行って下《くだ》さい。天子《てんし》さまの御病気《ごびょうき》を治《なお》して上《あ》げとうございます。」
 といいました。
 保名《やすな》もこれをしおに京都《きょうと》へ行《い》って、阿倍《あべ》の家《いえ》を興《おこ》す時《とき》が来《き》たと、大《たい》そうよろこんで、童子《どうじ》を連《つ》れて京都《きょうと》へ上《のぼ》りました。そして天子《てんし》さまの御所《ごしょ》に上《あ》がって、お願《ねが》いの筋《すじ》を申《もう》し上《あ》げました。天子《てんし》さまも阿倍《あべ》の仲麻呂《なかまろ》の子孫《しそん》だということをお聞《き》きになって、およろこびになり、保名親子《やすなおやこ》の願《ねが》いをお聞《き》き届《とど》けになりました。そこで童子《どうじ》はからすに聞《き》いたとおり占《うらな》いを立《た》てて申《もう》し上《あ》げました。御所《ごしょ》の役人《やくにん》たちはふしぎに思《おも》って、なかなか信用《しんよう》しませんでしたが、何《なに》しろ困《こま》りきっているところでしたから、ためしに御寝所《ごしんじょ》の東北《うしとら》の柱《はしら》の下を掘《ほ》らしてみますと、なるほど童子《どうじ》のいったとおり、火《ひ》のような息《いき》をはきかけはきかけ戦《たたか》っている蛇《へび》と蛙《かえる》を見《み》つけて、追《お》い出《だ》して、捨《す》てました。するとまもなく天子《てんし》さまの御病気《ごびょうき》は薄紙《うすがみ》をへぐように、きれいに治《なお》ってしまいました。
 天子《てんし》さまは大《たい》そう阿倍《あべ》の童子《どうじ》の手柄《てがら》をおほめになって、ちょうど三|月《がつ》の清明《せいめい》の季節
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