つまでも帰《かえ》って来《き》ませんでした。葛《くず》の葉《は》はいつものとおり機《はた》に向《む》かって、とんからりこ、とんからりこ、機《はた》を織《お》りながら、少《すこ》し疲《つか》れたので、手を休《やす》めて、うっとり庭《にわ》をながめました。もう薄《うす》れかけた秋《あき》の夕日《ゆうひ》の中に、白い菊《きく》の花《はな》がほのかな香《かお》りをたてていました。葛《くず》の葉《は》は何《なん》となくうるんだ寂《さび》しい気持《きも》ちになって、我《われ》を忘《わす》れてうっかりと魂《たましい》が抜《ぬ》け出《だ》したようになっていました。その時《とき》外《そと》から、
「かあちゃん、かあちゃん。」
 と呼《よ》びながら、遊《あそ》び疲《つか》れた子供《こども》が駆《か》けて帰《かえ》って来《き》ました。うっとりしていて、その声《こえ》にも気《き》がつかなかったとみえて、葛《くず》の葉《は》が返事《へんじ》をしないので、不思議《ふしぎ》に思《おも》って子供《こども》はそっと庭《にわ》に入《はい》ってみますと、いつものように機《はた》に向《む》かっている母親《ははおや》の姿《すがた》は見《み》えましたが、機《はた》を織《お》る手は休《やす》めて、機《はた》の上《うえ》につっぷしたまま、うとうとうたた寝《ね》をしていました。ふと見《み》るとその顔《かお》は、人間《にんげん》ではなくって、たしかに狐《きつね》の顔《かお》でした。子供《こども》はびっくりして、もう一|度《ど》見直《みなお》しましたが、やはりまぎれもない狐《きつね》の顔《かお》でした。子供《こども》は「きゃっ。」と、思《おも》わずけたたましいさけび声《ごえ》を上《あ》げたなり、あとをも見《み》ずに外《そと》へ駆《か》け出《だ》しました。
 子供《こども》のさけび声《ごえ》に、はっとして葛《くず》の葉《は》は目を覚《さ》ましました。そしてちょいとうたた寝《ね》をした間《ま》に、どういうことが起《お》こったか、残《のこ》らず知《し》ってしまいました。ほんとうにこの葛《くず》の葉《は》は人間《にんげん》の女ではなくって、あの時《とき》保名《やすな》に助《たす》けられた若《わか》い牝狐《めぎつね》だったのです。狐《きつね》は今日《きょう》までかくしていた自分《じぶん》の醜《みにく》い、ほんとうの姿《すがた》を
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