立ち止まっていたかもしれなかったが、ふとかくしにある固《かた》い丸《まる》いものが手にさわった。わたしの時計であった。
ありったけのわたしの悲しみはしばらくのあいだ忘《わす》れられた。わたしの時計だ。自分の時計で時間を知ることができるのだ。わたしは時間を見るために、それを引き出した。昼だ。それは昼であろうと、十時であろうと、十一時であろうと、たいしたことではなかった。でもわたしは昼であるということがたいそううれしかった。それがなぜだか言うのはむずかしい。けれどそういうわけであった。わたしの時計がそう知らせてくれる。なんということだ。わたしにとって時計は相談《そうだん》をしたり、話のできる親友であると思われた。
「時計君、何時だね」
「十二時ですよ、ルミさん」
「おやおや。ではあれをしたり、これをしたりするときだ。いいことをおまえは教えてくれた。おまえが言ってくれなければ、ぼくは忘《わす》れるところだったよ」
わたしのうれしいのにまぎれて、カピがほとんどわたしと同様に喜《よろこ》んでいてくれることに気がつかなかった。かれはわたしのズボンのすそを引《ひ》っ張《ぱ》って、たびたびほえた。
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