なふうにしててんでに自分の仕事を持っていて、むだに時間を費《ついや》すものはなかった
 わたしは村で百姓《ひゃくしょう》の働《はたら》くところを見たこともあるが、ついぞパリの近所の植木屋のような熱心《ねっしん》なり勇気《ゆうき》なり勤勉《きんべん》なりをもって働《はたら》いていると思ったことはなかった。実際《じっさい》ここではみんないっしょうけんめい、朝は日の出まえから起き、晩《ばん》は日がくれてあとまでいっぱいの時間を使いきってのちに寝台《ねだい》に休むのである。わたしはまた土地を耕《たがや》したことがあったが、勤労《きんろう》によって土地にまるで休憩《きゅうけい》をあたえないまでに耕作《こうさく》し続《つづ》けるということを知らなかった。だからアッケンのお父さんのうちはわたしにとってはりっぱな学校であった。
 わたしはいつまでも温室のフレームばかりには使われていなかった、元気が回復《かいふく》してきたし、自分もなにか地の上にまいてみるということに満足《まんぞく》を感じてきた。その種《たね》が芽《め》を出すのを見るのが、いっそうの満足であった。これはわたしの仕事であった。わたしの財産
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