手には赤んぼうの着物、同じカシミアの外とう、レースのボンネット、毛糸のくつなどをかかえていた。かの女がこれらの品物を机《つくえ》に置《お》くか置かないうちに、わたしはかの女をだきしめた。わたしがかの女にあまえているあいだに、ミリガン夫人《ふじん》は召使《めしつか》いに何か言いつけた。そのときほんの、「ジェイムズ・ミリガン」という名を聞いただけであったが、わたしは青くなった。
「あなたはなにもこわがることはないのよ」とミリガン夫人《ふじん》は優《やさ》しく言った。「ここへおいで。あなたの手をわたしの手にお置《お》きなさい」
ジェイムズ・ミリガン氏《し》は例《れい》の白いとんがった歯をむき出して、にこにこしながらはいって来た。ところがわたしの顔を見ると、微笑《びしょう》がものすごい渋面《じゅうめん》になった。ミリガン夫人《ふじん》はかれにものを言うひまをあたえなかった。
「あなたにおいでを願《ねが》いましたのは」と、ミリガン夫人《ふじん》はやや声をふるわせながら言った。「長男がやっと見つかりましたので、あなたにお引き合わせしたいとぞんじまして」こう言ってかの女はわたしの手をにぎりしめた。
「でもあなたはもうこの子にはお会いくださいましたそうですね。この子をぬすんだ男の家で、この子にお会いになって、からだの具合をお調べになったそうですね」
「それはなんのことです」とジェイムズ・ミリガン氏《し》が反問した。
「なんでもお寺へ盗賊《とうぞく》にはいったその男が、残《のこ》らず白状《はくじょう》いたしましたそうです。その男はどういうふうにしてわたくしの赤んぼうをぬすみ出して、パリへ連《つ》れて行き、そこへ捨《す》てたか、その一部始終《いちぶしじゅう》を述《の》べました。これがわたくしの子どもの着ておりました着物でございます。わたくしの子どもを育ててくれましたのは、この正直なおばあさんでございました。この手続をお読みになりたいとおぼしめしませんか。この着物を調べてごらんになりたいとおぼしめしませんか」
ジェイムズ・ミリガン氏《し》はわたしにとびかかって、しめ殺《ころ》してでもやりたいような顔をしたが、やがてくるりとかかとをふり向けた。そしてしきい際《ぎわ》でかれはふり返って言った。
「いずれ法廷《ほうてい》が、この子どもの作り話をどう聞くか、見てみましょうよ」
わたしの母、もういまはそう呼《よ》んでもいいが、――母はそのとき静《しず》かに答えた。
「あなたが法廷へこの事件《じけん》をお持ち出しになるのはご随意《ずいい》です。わたくしはあなたが夫《おっと》のご兄弟でいらっしゃるために、わざとそれをさしひかえたのでございます」
ドアは閉《し》まった。そのとき、生まれて初《はじ》めてわたしは、母を、かの女がわたしにキッスしたようにキッスし返した。
「きみ、お母さんに、ぼくが秘密《ひみつ》をよく守ったことを話してくれたまえ」とマチアがわたしのそばに寄《よ》って来てこう言った。
「ではきみは残《のこ》らず知っていたのか」
「わたしはマチアさんにそれをそっくり言わずにいるようにたのんでおいたのです」とわたしの母が言った。「それはあなたがわたしの子だということはわかっていたけれど、わたしも確《たし》かな証拠《しょうこ》をにぎりたかったから、バルブレンのおっかさんに、着物を持ってここまで来てもらったのです。こんなにしたうえで、つまりそれがまちがいだということになったら、どんなにつらい思いをするかしれないからね。わたしたちはこれだけの証拠のあるうえは、もう二度と別《わか》れることはないのよ。あなたはこれからずっとあなたの母さんや弟といっしょにくらすのです」こう言ってマチアとリーズを指さしながら、「それから」と言いそえた。「あなたが貧《まず》しかったときおまえの愛《あい》したこの人たちもね」
家庭で
いく年か、それはずいぶん長い月日が短く過《す》ぎた。そのあいだしじゅう楽しい幸福な日が続《つづ》いた。わたしはいまでは、わたしの先祖《せんぞ》からのやしきであるイギリスのミリガン・パークに住んでいる。
うちのない子、よるべのない子、この世の中に捨《す》てられ、忘《わす》れられて、運命のもてあそぶままに西に東にただよって、広い大海のまん中に、目標《もくひょう》になる燈台《とうだい》もなく、避難《ひなん》の港もなかったみなし子が、いまでは自分が愛《あい》し愛される母親や兄弟があるだけではない、その国で名誉《めいよ》のある先祖《せんぞ》の名跡《みょうせき》をついで、ばくだいな財産《ざいさん》を相続《そうぞく》する身の上になったのである。
夜な夜な、物置《ものお》きやうまやの中、または青空の下の木のかげにねむったあわれな子どもが、いまは歴史《
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