かれにいい知らせを伝《つた》えようとした。
 もう、バルフルールに着いたときは、夕方おそくなっていたので、ボブの兄弟はわたしたちによければ今夜|一晩《ひとばん》船の中でねて行ってもいいと言った。
「おまえさんがまたイギリスへ帰りたいと思うときには」とそのあくる朝、わたしたちがさようならを言って、かれの骨折《ほねお》りを感謝《かんしゃ》すると、こう言った。「エクリップス号は毎火曜日ここから出帆《しゅっぱん》するのだから、覚《おぼ》えておいで」
 これはうれしい好意《こうい》であったが、マチアにもわたしにも、てんでん、この海を二度とわたりたくない……ともかくも、ここしばらくはわたりたくないわけがあった。
 運よくわたしたちのかくしには、ボブの興行《こうぎょう》を手伝《てつだ》ってもうけたお金があった。みんなで二十七フランと五十サンチームあった。マチアはボブに二十七フランを、わたしたちの逃亡《とうぼう》のために骨《ほね》を折《お》ってくれた礼にやりたいと思ったが、かれは一スーの金も受け取らなかった。
「さてどちらへ出かけよう」わたしはフランスへ上陸《じょうりく》するとこう言った。
「運河《うんが》について行くさ」とマチアはすぐに答えた。「ぼくは考えがあるのだ。ぼくはきっと白鳥号がこの夏は運河に出ていると思うよ。アーサが悪いのだからね。ぼくはきっと見つかるはずだと思うよ」とかれは言い足した。
「でもリーズやほかの人たちは」とわたしは言った。
「ぼくたちはミリガン夫人《ふじん》を探《さが》しながら、あの人たちにも会える。運河《うんが》をのぼって行きながらとちゅう止まってリーズをたずねることができる」
 わたしたちは持って来た地図で、いちばん近い川を探《さが》すと、それはセーヌ川であることがわかった。
「ぼくたちはセーヌ川をのぼって行って、とちゅう岸で会う船頭に片《かた》っぱしから白鳥号を見たかたずねようじやないか。きみの話では、その船はだいぶなみの船とはちがうようだから、見れば覚《おぼ》えているだろうよ」
 これからおそらく続《つづ》くかもしれない長い旅路《たびじ》にたつまえに、わたしはカピのからだを洗《あら》ってやるため、やわらかい石けんを買った。わたしにとっては、黄色いカピは、カピではなかった。わたしたちは代わりばんこにカピをつかまえては、かれがいやになるまでよく洗ってやった。でもボブの絵の具は上等な絵の具で、洗ってやってもやはり黄色かった。だがいくらか青みをもってはきた。それでかれをもとの色に返すまでには、ずいぶんたびたび石《せっ》けん浴《よく》をやった。幸いノルマンデーは小川の多い地方であったから、毎日わたしたちは根気よく行水をつかってやった。
 わたしたちはある朝小山の上に着いた。わたしたちの前途《ぜんと》に当たって、セーヌ川が大きな曲線を作って流れているのを見た。それから進んで行って、わたしたちは会う人ごとにたずね始めた。あのろうかのついた美しい船の白鳥号を見たことはないか――だれもそれを見た者はなかった。きっと夜のうちに通ってしまったのかもしれなかった。わたしたちはそれからルーアンへ行った。そこでもまた同じ問いをくり返したが、やはりいい結果《けっか》は得《え》られなかった。でもわたしたちは失望《しつぼう》しないで、一人ひとりたずねながらずんずん進んだ。
 行く道みち食べ物を買う金を取るために、足を止めなければならなかったから、やがてパリの郊外《こうがい》へ着くまでは五日間かかった。
 幸いシャラントンに着くと、まもなくどの方角に向かっていいか見当がついた。さっそく例《れい》のだいじな質問《しつもん》を出すと、初《はじ》めてわたしたちは待ちもうけていた返答を受け取った。白鳥号に似《に》た大きな遊山船《ゆさんぶね》が、この道を通ったが、左のほうへ曲がって、セーヌ川をずんずん上って行った、というのであった。
 わたしたちは岸の近くに下りてみた。マチアは船頭たちの中で舞踏曲《ぶとうきょく》をやることになったので、たいへんはしゃぎきっていた。とつぜんダンスをやめて、ヴァイオリンを持って、マチアは気ちがいのように凱旋《がいせん》マーチをひいた。かれがひいているまに、わたしはその船を見たという男によくたずねた。疑《うたが》いもなくそれは白鳥号であった。なんでもそれはふた月ほどまえ、シャラントンを通って行った。
 ふた月か。なんという遠い話であろう。だがなにをちゅうちょすることがあろう。わたしたちにも足がある。向こうも二ひきのいい馬の足がある。でもいつか追い着くであろう。ひまのかかるのはかまったことではない。なによりだいじな、しかもふしぎなことは、白鳥号がとうとう見つかったということであった。
「ねえ、まちがってはいなかった」とマチアがさ
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