りには、たいてい市場が立つことになっていた。いろいろ種類《しゅるい》のちがう香具師《やし》や、音楽師《おんがくし》や、屋台店が二、三日まえから出ていた。
わたしたちはあるテント張《は》り小屋《こや》で、たき火の上に鉄びんがかかっている所を通り過《す》ぎると、曲馬団《きょくばだん》でマチアの友だちであったボブを見つけた。かれはまたわたしたちを見つけたので、たいそう喜《よろこ》んでいた。かれは二人の友だちといっしょに競馬場《けいばじょう》へ来て、力持ちの見世物を出そうとしているところであった。そのためある音楽師《おんがくし》を二、三人やくそくしたが、まぎわになってだめになったので、あしたの興行《こうぎょう》は失敗《しっぱい》になるのではないかと心配していたところであった。かれの仕事にはにぎやかな人寄《ひとよ》せの音楽がなければならなかった。
わたしたちはそこでかれの手伝《てつだ》いをしてやろうということになった。一座《いちざ》ができて、わたしたち五人の間に利益《りえき》を分けることになった。そのうえカピにもいくらかやることにした。ボブはカピが演芸《えんげい》の合い間に芸《げい》をして見せてくれることを望《のぞ》んでいた。わたしたちはやくそくができて、あくる日決めた時間に来ることを申し合わせた。
わたしが帰ってこのもくろみを父に話すと、かれはカピはこちらで入用だから、あれはやられないと言った。わたしはかれらがまた人の犬をなにか悪事に使うのではないかと疑《うたが》った。わたしの目つきから、父はもうわたしの心中を推察《すいさつ》した。
「ああ、いや、なんでもないことだよ」とかれは言った。「カピはりっぱな番犬だ。あれは馬車のわきへ置《お》かなければならん。きっとおおぜい回りへたかって来るだろうから、品物をかすめられてはならない。おまえたち二人だけで行って、友だちのボブさんと一かせぎやって来るがいい。たぶんおまえのほうは夜おそくまですむまいと思うから、そのときは『大がしの宿屋《やどや》』で待ち合わせることにしよう。あしたはまた先へたって行くのだから」
わたしたちはそのまえの晩《ばん》『大がしの宿屋』で夜を明かした。それは一マイル(約一・六キロ)はなれたさびしい街道《かいどう》にあった。その店はなにか気の許《ゆる》せない顔つきをした夫婦《ふうふ》がやっていた。その店を見つけるのはごくわけのないことであった。それはまっすぐな道であった。ただいやなことは、一日つかれたあとで、かなりな道のりを歩いて行かなければならないことであった。でも父親がこう言えば、わたしは服従《ふくじゅう》しなければならなかった。それでわたしは宿屋《やどや》で会うことをやくそくした。
そのあくる日、カピを馬車に結《ゆ》わえつけて番犬において、わたしはマチアと競馬場《けいばじょう》へ急いで行った。
わたしたちは行くとさっそく、音楽を始めて、夜まで続《つづ》けた。わたしの指は何千という針《はり》でさされたように、ちくちく痛《いた》んだし、かわいそうなマチアはあんまりいつまでもコルネをふいて、ほとんど息が出なくなった。
もう夜中を過《す》ぎていた。いよいよおしまいの一番をやるときに、かれらが演芸《えんげい》に使っていた大きな鉄の棒《ぼう》がマチアの足に落ちた。わたしはかれの骨《ほね》がくじけたかと思ったが、運よくそれはひどくぶっただけであった。骨はすこしもくじけなかったが、やはり歩くことはできなかった。
そこでかれはその晩《ばん》ボブといっしょにとまることになった。わたしはあくる日ドリスコルの一家の行く先を知らなければならないので、一人「大がしの宿屋《やどや》」へ行くことにした。その宿屋へわたしが着いたときは、まっくらであった。馬車があるかと思って見回したが、どこにもそれらしいものは見えなかった。二つ三つあわれな荷車のほかに、目にはいったものは大きなおりだけで、そのそばへ寄《よ》ると野獣《やじゅう》のほえ声がした。ドリスコル一家の財産《ざいさん》であるあのごてごてと美しくぬりたてた馬車はなかった。わたしは宿屋《やどや》のドアをたたいた。亭主《ていしゅ》はドアを開けて、ランプの明かりをまともにわたしの顔にさし向けた。かれはわたしを見覚《みおぼ》えていたが、中へ入れてはくれないで、両親はもうルイスへ向けて立ったから、急いであとを追っかけろと言って、もうすこしでもぐずぐずしてはいられないとせきたてた。それでぴしゃりとドアを立てきってしまった。
わたしはイギリスに来てから、かなりうまくイギリス語を使うことを覚《おぼ》えた。わたしはかれの言ったことが、はっきりわかったが、ぜんたいそのルイスがどこらに当たるのか、まるっきり知らなかった。よしその方角を教わったにしても、わたしは
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