《ざいさん》、わたしの創造《そうぞう》であった。だからよけいわたしに得意《とくい》な感じを起こさせた。
それで自分がどういう仕事に適当《てきとう》しているかがわかった。わたしはそれをやってみせた。そのうえよけいわたしをゆかいにしたことは、まったくこれでは骨折《ほねお》りのかいがあると感じ得《え》たことであった。
この新しい生活はなかなかわたしには苦しかったが、しかしこれまでの浮浪人《ふろうにん》の生活と似《に》ても似つかない労働《ろうどう》の生活が案外《あんがい》早くからだに慣《な》れた。これまでのように自由気ままに旅をして、なんでも大道を前へ前へと進んで行くほかに苦労《くろう》のなかったのに引きかえて、いまは花畑の囲《かこ》いの中に閉《と》じこめられて、朝から晩《ばん》まであらっぽく働《はたら》かなければならなかった。背中《せなか》にはあせにぬれたシャツを着、両手に如露《じょろ》を持って、ぬかるみの道の中を、素足《すあし》で歩かなければならなかった。でもぐるりのほかの人たちも、同じようにあらっぽい労働《ろうどう》をしていた。お父さんの如露はわたしのよりもずっと重かったし、そのシャツはわたしたちのそれよりも、もっとびっしょりあせにぬれていた。みんな平等であるということは、苦労《くろう》の中の大きな楽しみであった。そのうえわたしはもうまったく失《うしな》ったと思ったものを回復《かいふく》した。それは家族の生活であった。わたしはもう独《ひと》りぼっちではなかった。世の中に捨《す》てられた子どもではなかった。わたしには自分の寝台《ねだい》があった。わたしはみんなの集まる食卓《しょくたく》に自分の席《せき》を持っていた。昼間ときどきアルキシーやバンジャメンがわたしにげんこつをみまうこともあったが、わたしはなんとも思わなかった。またわたしが打ち返しても、かれらはなんとも思わなかった。そうして晩《ばん》になれば、みんなスープを取り巻《ま》いて、また兄弟にも友だちにもなるのであった。
ほんとうを言うと、わたしたちは働《はたら》いてつかれるということはなかった。わたしたちにも休憩《きゅうけい》の時間も遊ぶ時間もあった。むろんそれは短かったが、短いだけよけいゆかいであった。
日曜の午後には家についているぶどうだなの下にみんな集まった。わたしはその週のあいだかけっぱなしにしてお
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