ポプラの若木《わかぎ》からはねっとりとやにが流れていた。そうしてうずら[#「うずら」に傍点]や、こまどり[#「こまどり」に傍点]や、ひわ[#「ひわ」に傍点]やなんぞの鳥が、ここはまだいなかで、町ではないというように歌を歌っていた。
 これがわたしの見た小さな谷の景色《けしき》であった――その後ずいぶん変《か》わったが――それでもわたしの受けた印象《いんしょう》はあざやかに記憶《きおく》に残《のこ》っていて、ついきのうきょうのように思われる。わたしに絵がかけるなら、このポプラの林の一|枚《まい》の葉をも残《のこ》すことなしにえがき出したであろう――また大きなやなぎの木を、頭の先の青くなった、とげのあるさんざしといっしょにかいたであろう。それはやなぎのかれたような幹《みき》の間に根を張《は》っていた。また砲台《ほうだい》の傾斜地《けいしゃち》をわたしたちはよく片足《かたあし》で楽にすべって下りた――それもかきたい。あの風車といっしょにうずら[#「うずら」に傍点]が丘《おか》の絵もかきたい――セン・テレーヌ寺の庭に群《むら》がっていたせんたく女もえがきたい。それから川の水をよごれくさらせていた製革《せいかく》工場もかきたい――
 もちろんこういう散歩《さんぽ》のおり、リーズはものは言えなかったが、きみょうなことに、わたしたちはなにもことばの必要《ひつよう》はなかった。わたしたちはおたがいにものを言うことなしに、了解《りょうかい》し合っているように思われた。
 そのうちにわたしにも、みんなといっしょに働《はたら》けるだけじょうぶになる日が来た。わたしはその仕事を始める日を待ちかねていた。それはわたしのためにこれだけつくしてくれた親切な友だちに、こちらからもなにかしてやりたいと思っていたからであった。わたしはこれまで仕事らしい仕事をしたことがなかった。長い流浪《るろう》の旅はつらいものではあるが、どうでもこれだけ仕上げなければというように、いっしょうけんめい張《は》りこんでする仕事はなにもなかった。けれど今度こそわたしは、じゅうぶんに働《はたら》かなければならないと感じた。少なくともぐるりにいる人たちをお手本にして、元気を出さなければならないと思った。このごろはちょうどにおいあらせいとう[#「においあらせいとう」に傍点]がパリの市場に出始める季節《きせつ》であった。それには赤
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