きつくような感じ)を感じた。病気は肺炎《はいえん》であった。それはすなわちあの晩《ばん》気のどくな親方とわたしがこの家《や》の門口《かどぐち》にこごえてたおれたとき、寒気のために受けたものであった。
でもこの肺炎《はいえん》のおかげで、わたしはアッケン家の人たちの親切、とりわけてエチエネットの誠実《せいじつ》をしみじみ知ったのであった。びんぼうなうちではめったに医者を呼《よ》ぶということはないが、わたしの容態《ようだい》がいかにも重くって心配であったので、わたしのため特別《とくべつ》に、習慣《しゅうかん》のためいつか当たり前になっていた規則《きそく》を破《やぶ》ってくれた。呼ばれて来た医者は長い診察《しんさつ》をしたり、細かい容態を聞いたりするまでもなく、いきなり病院へ送れと言いわたした。
なるほどこれはいちばん簡単《かんたん》で、手数がかからなかった。でもこの父さんは承知《しょうち》しなかった。
「ですがこの子はわたしのうちの門口でたおれたんですから、病院へはやらずに、やはりわたしどもが看病《かんびょう》しなければなりません」とかれは言った。
医者はこの因縁論《いんねんろん》に対して、いろいろうまいことばのかぎりをつくして説《と》いたが、承知《しょうち》させることができなかった。かれはわたしをどうしても看病しなければならないと考えた。そしてまったく看病してくれた。
こうしてあり余《あま》る仕事のあるうえ、エチエネットにはまた一つ、看護婦《かんごふ》の役が増《ふ》えた。でもセン・ヴェンサン・ド・ポールの尼《あま》さんがするように、親切にしかも規則《きそく》正しく看護《かんご》してくれて、けっしてかんしゃく一つ起こさないし、なに一つ手落ちなしにしてくれた。かの女が家事のためにどうしてもついていられないときには、リーズが代わってくれた。たびたび熱《ねつ》にうかされながら、わたしは寝台《ねだい》のすそで不安心《ふあんしん》らしい大きな目をわたしに向けているかの女を見た。熱にうかされながらわたしはかの女を自分の守護天使《しゅごてんし》であるように思って、天使に向かって話をするように、自分の望《のぞ》みや願《ねが》いをかの女に打ち明けた。このときからわたしは我知《われし》らずかの女を、なにか後光に包《つつ》まれた人間|以上《いじょう》のものに思うようになり、それが白い
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