せん。本名はカルロ・バルザニと申しました。あなたがいまから三十五年か四十年まえにイタリアにおいででしたら、あの男についてご承知《しょうち》だったでしょう。それはほんの名前を言うだけで、どんな人物だということは残《のこ》らずおわかりになったでしょう。カルロ・バルザニと言えばそのころでいちばん有名な歌うたいでした。かれはナポリ、ローマ、ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ロンドン、それからパリでも歌いました。どこの大劇場《だいげきじょう》もたいした成功《せいこう》でした。やがてふとしたことからかれはりっぱな声が出なくなりました。もう歌うたいの中でいちばんえらい者でいることができなくなると、かれは自分の偉大《いだい》な名声に相応《そうおう》しない下等な劇場に出て、歌を歌って、だんだん評判《ひょうばん》をうすくすることをしませんでした。その代わりかれはまるっきり自分を世間の目からくらまして、全盛時代《ぜんせいじだい》にかれを知っていた人びとからかくれるようにしました。けれどもかれも生きなければなりません。かれはいろいろの職業《しょくぎょう》に手を出してみましたが、どれもうまくいきません。そこでとうとう犬を慣《な》らして、大道《だいどう》の見世物師《みせものし》にまで落ちることになりました。けれどいくらなり下がってもやはり気位《きぐらい》が高く、これが有名なカルロ・バルザニのなれの果《は》てだということを世間に知られるくらいなら、はずかしがって死んだでしょう。わたしがあの男の秘密《ひみつ》を知ったのは、ほんのぐうぜんのことでした」
これが長いあいだ心にかかっていた秘密の正体であった。
気のどくなカルロ・バルザニ。なつかしいヴィタリス親方。
植木屋
そのあくる日ヴィタリスをほうむらなければならなかった。アッケン氏《し》はわたしをお葬式《そうしき》に連《つ》れて行くやくそくをした。
けれどその日わたしは起き上がることができなかった。夜のうちにひじょうに具合が悪くなった。ひどい熱《ねつ》が出て、はげしい寒けを感じた。わたしの胸《むね》の中は、小さなジョリクールがあの晩《ばん》木の上で過《す》ごしたとき受けたと同様、焼《や》きつくやうな熱気《ねっき》を感じた。
実際《じっさい》わたしは胸にはげしい※[#「火+欣」、第3水準1−87−48]衝《きんしょう》(焼
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