に母屋《おもや》のドアをたたかないで、うまやのドアをたたいたというのでおこっていた。するとあの二人は巡査《じゅんさ》が見張《みは》りをしているからと言っていたもの」
「それできみは行かなければならないことがよくわかったろう」とわたしは言った。
「ぼくが行かなければならないなら、きみだって行かなければならない。それはぼくにだって、きみにだって、いいはずがないもの」「パリでガロフォリに会ったとして、あの人が無理《むり》にきみを連《つ》れ帰ろうとしたら、きみはきっと、ぼくに一人で別《わか》れて行ってくれと言うと思うよ。ぼくはただきみが自分でもするだろうと思うことをするだけだ」
 かれは答えなかった。
「きみはフランスへ帰らなければいけない」とわたしは言い張《は》った。「リーズの所へ行ってぼくがやくそくしたことも、あの子の父親のためにしてやることも、みんなできなくなったわけを話してくれたまえ。ぼくはあの子に、なによりもぼくのすることはあの人の借金《しゃっきん》をはらってやることだと言った。きみはあの子にそれのできなくなったわけを話してくれたまえ。それからバルブレンのおっかあの所へも行ってくれたまえ。ただうちの人たちは思ったほど金持ちではなかったとだけ言ってくれたまえ。金のないということはなにもはずかしいことではないのだから。でもそのほかのことは言わないでくれたまえ」
「きみがぼくに行けと言うのは、あの人たちがびんぼうだからというのではない。だからぼくは行かない」とマチアは強情《ごうじょう》に答えた。「ぼくはゆうべ見たところでそれがなんだかわかった。きみはぼくの身の上を案《あん》じているのだ」
「マチア、それを言わないでくれ」
「きみはいつか、ぼくまでが代《だい》のはらってない品物の正札《しょうふだ》を切り取るようなことになるといけないと心配しているのだ」
「マチア、マチア、よしたまえ」
「ねえ、きみがぼくのために心配するなら、ぼくはきみのために心配する。ぼくたち二人で出かけよう」
「それはとてもできない。ぼくの両親はきみにとってはなんでもないが、ぼくには父親と母親だ。ぼくはあの人たちといっしょにいなければならない。あれはぼくの家族なのだから」
「きみの家族だって。あのどろぼうをする男が、きみの父親だって。あの飲んだくれ女が、きみの母親だって」
「マチア、それまで言わずにいて
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