こ》したわたしの最後《さいご》のことばは、
「ぼくは今度来るとき、四頭引きの馬車で来て、リーズちゃんを連《つ》れて行くよ」というのであった。
そうしてかの女もわたしを信《しん》じきって、あたかもむちをふるって馬を追うような身ぶりをした。かの女もまたわたしと同様に、わたしの富《とみ》とわたしの馬や馬車を目にうかべることができるのであった。
わたしはパリへ行くのでいっしょうけんめいであったから、マチアのために食べ物を買うお金を集めるのに、ときどき足を止めるだけであった。もう雌牛《めうし》を買うことも、人形を買うこともいらなかった。お金持ちの両親の所へお金を持って行ってやる必要《ひつよう》もなかった。
「取れるだけは取って行こうよ」とマチアは言って、無理《むり》にわたしがハープを肩《かた》からはずさなければならないようにした。「だってパリへ行っても、すぐにバルブレンが見つかるかどうだかわからないからねえ。そうなると、きみはあの晩《ばん》、空腹《くうふく》で死にそうになったことを忘《わす》れていると言われてもしかたがないよ」
「おお、ぼくは忘れはしない」とわたしは軽く言った。「でもきっとあの人は見つかるよ。待っていたまえ」
「ああ、でもあの日、きみがぼくを見つけたとき、お寺のかべにどんなふうによりかかっていたか、ぼくは忘《わす》れない。ああ、ぼくはパリで飢《う》えて苦しむのだけはもうつくづくいやだよ」
「ぼくの両親のうちへ行けば、その代わりにたんとごちそうが食べられるよ」とわたしは答えた。
「うん。まあ、なんでも、もう一ぴき雌牛《めうし》を買うつもりで働《はたら》こうよ」とマチアは聞かなかった。
これはいかにももっともな忠告《ちゅうこく》であったが、わたしはもうこれまでと同じに精神《せいしん》を打ちこんで歌を歌わなくなったことを白状《はくじょう》しなければならない。バルブレンのおっかあのために雌牛《めうし》を買い、またはリーズのために人形を買うお金を取るということは、まるっきりそれとはちがったことであった。
「きみはお金持ちになったら、どんなになまけ者になるだろう」とマチアは言った。だんだんパリに近くなればなるほど、ますますわたしはゆかいになった。そうしてマチアはますます陰気《いんき》になった。
わたしたちはどんなにしても別《わか》れないと言いきっているのに、どうし
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