っき》をしょったが、まだ牛はやめなかった。
「ぼくは牛のためにコルネをふいてやる」と、じっとしていられないマチアが言った。「ガッソーの曲馬には、音楽の好《す》きな雌牛《めうし》がいたよ」
 かれはゆかいなマーチをふき始めた。
 初《はじ》めの音で、雌牛は頭を上げた。するととつぜんわたしがかれの角にとびかかってつなをおさえるまもないうちに、かの女はとっとっとかけ出した。わたしたちはいっしょうけんめい、止まれ、止まれと呼《よ》びながら、あとから追っかけた。わたしはカピに牛を止めるように声をかけた。だがだれでも万能《ばんのう》ということはできない。牛飼《うしか》い、馬飼いの犬なら鼻づらにとびついたであろうが、カピは牛の足にとびついた。
 牛はとうとうわたしたちが通って来た最後《さいご》の村までかけもどった。道はまっすぐであったから、遠方でもその姿《すがた》を見ることができた。おおぜいの人が通り道をふさいでつかまえようとしているのも見えた。わたしたちは牛を見失《みうしな》う気づかいはないと思ったので、すこし速力《そくりょく》をゆるめた。こうなるとしなければならないことは、牛を止めてくれた人たちから、それを受け取ることであろう。
 わたしたちがそこへ着いたとき、おおぜいの人間がもう集まっていた。そしてわたしたとが考えていたように、すぐに牛をわたしてはくれないで、どうして牛を手に入れたか、どこから牛をとって来たかをたずねた。
 かれらはわたしたちが牛をぬすんだこと、そして牛は持ち主の所へかけて帰ろうとしたのだということを主張《しゅちょう》いた。かれらはほんとうのことがわかるまで、わたしたちは牢屋《ろうや》へ行かなければならないと宣告《せんこく》した。牢屋と言われたばかりで、わたしは青くなって、どもり始めた。おまけにさんざんかけて息が切れていたので、ひと言もものが言えなかった。そこへちょうど巡査《じゅんさ》がやって来た。二言三言で全体の事件《じけん》が説明《せつめい》された。それを聞いてもいっこうはっきりしないことであったから、とにかくかれは雌牛《めうし》を預《あず》かること、それがわたしたちのものだというあかしの立つまで、わたしたちを拘留《こうりゅう》することに決めた。村じゅうが行列を作って、わたしたちのあとに続《つづ》いて、ちょうど警察署《けいさつしょ》をかねていた町の役場ま
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