正気は失《うしな》われかけていた。ちょうどきわどいところであった。けれどまだ運ばれて行くという意識《いしき》だけはあった。わたしは救助員《きゅうじょいん》たちが水をくぐって出て行ったあとで、毛布《もうふ》に包《つつ》まれた。わたしは目を閉《と》じた。
また目を開くと昼の光であった。わたしたちは大空の下に出たのだ。同時にだれかとびついて来た。それはカピであった。わたしが技師《ぎし》のうでにだかれていると、ただ一とびでかれはとびかかって来た。かれはわたしの顔を二度も三度もなめた。そのときわたしの手を取る者があった。わたしはキッスを感じた。それからかすかな声でつぶやくのを聞いた。
「ルミ。おお、ルミ」
それはマチアであった。わたしはかれににっこりしかけた。それからそこらを見回した。
おおぜいの人がまっすぐに、二列になってならんでいた。それはだまり返った群集《ぐんしゅう》であった。さけび声を立てて、わたしたちを興奮《こうふん》させてはならないと言つけられたので、かれらはだまっていたが、この顔つきはくちびるの代わりにものを言っていた。いちばん前の列に、なんだか白い法衣《ころも》と錦襴《きんらん》のかざりが日にかがやいているのをわたしは見た。これはぼうさんたちで、鉱山《こうざん》の口へ来て、わたしたちの救助《きゅうじょ》のためにおいのりをしてくれたのであった。わたしたちが運び出されると、かれらは砂《すな》の中にひざまでうずめてすわっていた。
二十本のうでがわたしを受け取ろうとしてさし延《の》べられた。けれど技師《ぎし》はわたしを放さなかった。かれはわたしを事務所《じむしょ》へ連《つ》れて行った。そこにはわたしたちをむかえる寝台《ねだい》ができていた。
二日ののち、わたしはマチアと、アルキシーと、カピを連《つ》れて、村の往来《おうらい》を歩いていた。そばへ来て、目になみだをうかべながら、わたしの手をにぎる者もあった。顔をそむけて行く者もあった。そういう人たちは喪服《もふく》をつけていた。かれらはこの親もない家もない子が救《すく》われたのに、なぜかれらの父親やむすこが、まだ鉱山《こうざん》の中でいたましい死がいになって、暗い水の中をただよっているのであろうか、それを悲しく思っていたのであろう。
音楽の先生
坑《こう》の中にいるあいだに、わたしはお友だちが
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