とかれはやがて静《しず》かに言った。「ランプの灯《ひ》を見なさい。ずいぶん心細くなっているではないか」
「魔法使《まほうつか》いみたいなことを言うな。なんのわけだ、言ってみろ」
「おれは魔法使《まほうつか》いをやろうというのではない。だがおぼれて死ぬことはないだろう。おれたちは気室の中にいるのだ。その圧搾空気《あっさくくうき》で水が上がって来ないのだ。出口のないこの竪坑《たてこう》はちょうど潜水鐘《せんすいしょう》(潜水器)が潜水夫《せんすいふ》の役に立つと同じりくつになっているのだ。空気が竪坑にたくわえられていて、それが水のさして来る力をせき止めているのだ。そこでおそろしいのは空気のくさることだ……水はもう一|尺《しゃく》(約三〇センチ)も上がっては来ない。鉱山《こうざん》の中は水でいっぱいになっているにちがいない」
「マリウスはどうしたろう」
「鉱坑《こうこう》は水でいっぱいになっている」と言った「先生」のことばで、パージュは三|層《そう》目で働《はたら》いていた一人むすこのことを思い出した
「おお、マリウス、マリウス」とかれはまたさけんだ。
なんの返事もなかった。こだまも聞こえなかった。かれの声はわれわれのいる坑《こう》の外にはとおらなかった。マリウスは助かったろうか。百五十人がみんなおぼれたろうか。あまりといえばおそろしいことだ。百五十人は少なくとも坑の中にはいっていた。そのうちいく人《にん》竪坑《たてこう》に上がったろうか。わたしたちのようににげ場を見つけたろうか。
うすぼんやりしたランプの光が心細くわたしたちのせまいおりを照《て》らしていた。
生きた墓穴《はかあな》
いまや鉱坑《こうこう》の中には絶対《ぜったい》の沈黙《ちんもく》が支配《しはい》していた。わたしたちの足もとにある水はごく静《しず》かに、さざ波も立てなかった。さらさらいう音もしなかった。鉱坑は水があふれていた。この破《やぶ》りがたいしずんだ重い沈黙が、初《はじ》め水があふれ出したとき聞いたおそろしいさけび声よりも、もっと心持ちが悪かった。
わたしたちは生きながらうずめられて、地の下百尺(約三〇メートルだが、ここでは深いという意味)の墓《はか》の中にいるのであった。わたしたちはみんなこの場合の恐怖《きょうふ》を感じていた。「先生」すらもぐんなりしていた。
とつぜんわ
前へ
次へ
全163ページ中66ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング