は親方がかの女を戸口まで送って行くだろうと思ったけれど、かれはまるでそんなことはしなかった。そしてかの女がもう答えない所まで遠ざかると、わたしはかれがそっとイタリア語で、ぶつぶこごとを言っているのを聞いた。
「あの人はカピに一ルイくれましたよ」とわたしは言った。そのときかれは危《あぶ》なくわたしにげんこを一つくれそうにしたけれど、上げた手をわきへ垂《た》らした。
「一ルイ」とかれはゆめからさめたように言った。「ああ、そうだ、かわいそうに、ジョリクールはどうしたろう。わたしは忘《わす》れていた。すぐ行ってやろう」
 わたしはそうそうに切り上げて、宿《やど》へ帰った。
 わたしはまっ先に宿屋《やどや》のはしごを上がって部屋《へや》へはいった。火は消えてはいなかったが、もうほのおは立たなかった。
 わたしは手早くろうそくをつけた。ジョリクールの声がちっともしないので、わたしはびっくりした。
 やがてかれが陸軍大将《りくぐんたいしょう》の軍服《ぐんぷく》を着て、手足をいっぱいにつっぱったまま、毛布《もうふ》の上に横になっているのを見た。かれはねむっているように見えた。
 わたしはからだをかがめ
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