に、かれらも空腹《くうふく》を忘《わす》れなければならなかった。わたしはいよいよ調子を高く早くとひいた。すると少しずつだんだんに、音楽がその偉力《いりょく》を現《あらわ》してきた。かれらはおどりだした。わたしはひき続《つづ》けた。
「うまい」――ふとわたしはすみきった子どもの声でこうさけぶのを聞いた。その声はすぐ後ろから聞こえた。わたしはあわててふり向いた。
一せきの遊船《ゆうせん》が堀割《ほりわり》の中に止まっていた。その小舟《こぶね》を引《ひ》っ張《ぱ》っている二ひきの馬は、向こう岸に休んでいた。それはきみょうな小舟であった。わたしはまだこんなふうな船を見たことはなかった。
それは堀割にうかんでいるふつうの船に比《くら》べて、ずっとたけが短かった。そして水面からわずか高い甲板《かんぱん》の上には、ガラスしょうじをたてきった船室があり、その前にはきれいなろうかがあって、つたの葉でおおわれていた。
そこには二人、人がいた。一人はまだ若《わか》い貴婦人《きふじん》で、美しい、そのくせ悲しそうな顔をしていた。もう一人はわたしぐらいの年ごろの男の子で、これはあお向けにねているらしかった
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