《いち》からどんなにも高い位置《いち》に上ることができる。これも覚《おぼ》えていてもらいたい。それでおまえが大きくなったとき、どうかまあ、気のどくな旅の音楽師《おんがくし》が自分を養《やしな》い親《おや》の手から引きさらって行ったときには、つらくもこわくも思ったようなものも、つまりそれがよかったのだと思って、喜《よろこ》んでくれるときがあればいいと思うのだ。まあ、こうして境遇《きょうぐう》の変《か》わるのが、つまりはおまえのために悪くはないかもしれないのだからな」
 いったいこの親方はもとはなんであったろう、わたしは知りたいと思った。
 さてわたしたちはだんだんめぐりめぐって行って、ローヴェルニュからケルシーの高原にはいった。これはおそろしくだだっ広くってあれていた。小山が波のようにうねっていて、開けた土地もなければ、大きな樹木《じゅもく》もなかったし、人通りはごく少なかった。小川もなければ池もない。所どころ水がかれきって、石ばかりの谷川が目にはいるだけであった。その原っぱのまん中にバスチード・ミュラーという小さな村があった。わたしたちはこの村のある宿屋《やどや》の物置《ものお》きに一
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