い。どうしてすばらしいものだ」
「でもぼく、どうしていいのかわからないんです」
「それだからそんなにうまくやれるのだ。おまえに芝居《しばい》がわかるとかえって、いま思っているようなことをわざとするようになるだろう。なんでもいまのどうしていいかわからずに困《こま》っている心持ちを忘《わす》れないようにしてやれば、いつも上出来だよ。つまり役の性根《しょうね》は、さると人間が、主人と家来と身分を取りかえたついでに、ばかをりこうと取りかえて、とんだあほうの取りちがえ、これが芝居《しばい》のおかしいところなのだ」
 『ジョリクール氏《し》の家来』は大芝居《おおしばい》というのではなかったから、二十分より長くは続《つづ》かなかった。ヴィタリスはわたしたちにたびたびそれをくり返させた。わたしは主人がずいぶんしんぼう強いのでおどろいた。これまで村でよく動物をしこむところを見たが、ひどくしかったり、ぶったりしてやっとしこむのであった。ずいぶんけいこは長くやったが、親方は一度もおこったこともなければ、しかったこともなかった。
「さあ、もう一度やり直しだ」とかれは厳《きび》しい声で言って、いけないところを直した。「カピ、それはいけません。ジョリクール、気をつけないとしかりますぞ」
 これがすべてであった。しかしそれでじゅうぶんであった。
 わたしを教えながらかれは言った。「なんでもけいこには犬をお手本にするがいい。犬とさるとを比べてごらん。ジョリクールはなるほどはしっこいし、ちえもあるけれども、注意もしないし、従順《じゅうじゅん》でもないのだ。かれは教えられたことはわけなく覚《おぼ》えるが、すぐそれを忘《わす》れてしまう。それにかれは言われたことをわざとしない。かえってあべこべなことをしたがる。それはこの動物の性質《せいしつ》だ。だからわたしはあれに対してはおこらない。さるは犬と同じ良心《りょうしん》を持たない。あれには義務《ぎむ》ということばの意味がわかっていない。それが犬におとるところだ。わかったかね」
「ええ」
「おまえはりこうで注意深い子だ。まあなんによらずすなおに、自分のしなければならないことをいっしょうけんめいにするのだ。それを一生|覚《おぼ》えておいで」
 こういう話をしているうち、わたしは勇気《ゆうき》をふるい起こして、芝居《しばい》のけいこのあいだなによりわたしをびっくりさせたことについてかれに質問《しつもん》した。どうしてかれが犬やさるやわたしに対してあんなにしんぼう強くやれるのであろうか。
 かれはにっこり笑《わら》った。「おまえは百姓《ひゃくしょう》たちの仲間《なかま》にいて、手あらく生き物を取りあつかっては、言うことを聞かないと棒《ぼう》でぶつようなところばかり見てきたのだろう。だがそれは大きなまちがいだよ。手あらくあつかったところでいっこう役に立たない。優《やさ》しくしてやればたいていはうまくゆくものだ。だからわたしは動物たちに優しくするようにしている。むやみにぶてばかれらはおどおどするばかりだ。ものをこわがるとちえがにぶる。それに教えるほうでかんしゃくを起こしては、ついいつもの自分とはちがったものになる。それではいまおまえに感心されたようなしんぼう力は出なかったろう。他人を教えるものは自分を教えるものだということがこれでわかる。わたしが動物たちに教訓《きょうくん》をあたえるのは、同時にわたしがかれらから教訓を受けることになるのだ。わたしはあれらのちえを進めてやったが、あれらはわたしの品性《ひんせい》を作ってくれた」
 わたしは笑《わら》った。それがわたしにはきみょうに思われた。でもかれはなお続《つづ》けた。
「おまえはそれをきみょうだと思うか。犬が人間に教訓《きょうくん》を授《さず》けるのはきみょうだろう。だがこれはほんとうだよ。
 すると主人が犬をしこもうと思えば、自分のことをかえりみなければならない。その飼《か》い犬《いぬ》を見れば主人の人がらもわかるものだ。悪人の飼っている犬はやはり悪ものだ。強盗《ごうとう》の犬はどろぼうをする。ばかな百姓《ひゃくしょう》が飼い犬はばか[#「ばか」に傍点]で、もののわからないものだ。親切な礼儀《れいぎ》正しい人は、やはり気質《きしつ》のいい犬を飼っている」
 わたしはあしたおおぜいの前に現《あらわ》れるということを思うと、胸《むね》がどきどきした。犬やさるはまえからもう何百ぺんとなくやりつけているのだから、かえってわたしよりえらかった。わたしがうまく役をやらなかったら、親方はなんと言うだろう。見物はなんと言うだろう。
 わたしはくよくよ思いながらうとうとねいった。そのゆめの中で、おおぜいの見物が、わたしがなんてばかだろうと言って、腹《はら》をかかえて笑《わら》うところを見た。
 
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