やっとひざまで届《とど》いた。老人《ろうじん》はくつ下にひもをぬいつけて、フェルトぼうしの上にはいっぱいに赤いリボンを結《むす》びつけた。それから毛糸の花でおかざりをした。
わたしはほかの人がどう思うかは知らないが、正直に言えば自分ながらなかなかりっぱになったと思った。親友のカピも同じ考えであったから、しばらくわたしの顔をじっと見て、満足《まんぞく》したふうで前足を出した。
わたしはカピの賛成《さんせい》を得《え》たのでうれしかった。それというのが、わたしが着物を着かえている最中《さいちゅう》、例《れい》のジョリクールめが、わたしのまん前にべったりすわって、大げさな身ぶりで、さんざんひとのするとおりのまねをして、すっかり仕度ができると、今度はおしりに手を当て、首をちぢめて、あざけるように笑《わら》ったので、一方にそういう実意のある賛成者《さんせいしゃ》のできたのがよけいにうれしかったのである。
いったいさるが笑うか笑わないかということは、学問上の問題だそうだ。わたしは長いあいだジョリクールと仲《なか》よくくらしていたが、かれはたしかに笑った。しかもどうかすると人をばかにした笑《わら》い方《かた》をしたものだ。もちろんかれは人間のようには笑わなかった。けれどもなにかおもしろいことがあると、口を曲げて、目をくるくるやって、あのしっぽをす早く働《はたら》かせる。そうしてまっ黒な目はぴかぴか光って、火花がとび出すかと思われた。
「さあ仕度ができたら」と最後《さいご》にぼうしを頭にかぶると老人《ろうじん》が言った。「わたしたちはいよいよ仕事にかからなければならない。あしたは市《いち》の立つ日だから、おまえは初舞台《はつぶたい》を務《つと》めなければならない」
初舞台。初舞台とはどんなことだろう。
老人《ろうじん》はそこで、この初舞台というのは、三びきの犬とジョリクールを相手《あいて》に芝居《しばい》をすることだと教えてくれた。
「でもぼく、どうして芝居《しばい》をするのか知りません」と、わたしはおどおどしながらさけんだ。
「それだから、わたしが教えてあげようというのだよ。教わらなけりゃわかりゃしない。この動物どももいっしょうけんめい自分の役をけいこしたものだ。カピが後足で立つのでも、ドルスがなわとびの芸当《げいとう》をやるのでも、みんなけいこをして覚《おぼ》えたのだ。ずいぶん骨《ほね》の折《お》れたことではあったが、その代わりご覧《らん》、あのとおりかしこくなっている。おまえも、これからいろいろの役を覚えるためにはよほど勉強が要《い》る。とにかく仕事にかかろう」
これまでわたしは仕事といえば、畑にくわを入れるとか、石を切るとか、木をかるとかいうほかにはないように思っていた。
「さてわたしたちのやる狂言《きょうげん》は、『ジョリクール氏《し》の家来、一名とんだあほうの取りちがえ』というのだ。それはこういう筋《すじ》だ。ジョリクール氏はこれまで一人家来を使っていた。それはカピという名前で、ジョリクール氏はこの家来に満足《まんぞく》していたのだが、年を取ったのでひまを取ろうとする。それでカピは主人にひまを取るまえに、代わりの家来を見つけるやくそくをする。さてその後がまの家来というのは、犬ではなくって子どもなのだ。ルミと名乗るいなかの子どもなのだ」
「やあ、ぼくと同じ名前の……」
「いや、同じ名前ではない、それがおまえなんだ。おまえはジョリクール氏《し》の所へ奉公口《ほうこうぐち》を探《さが》しにいなかから出て来たのだ」
「おさるに家来はないでしょう」
「そこが芝居《しばい》だよ。さておまえはいきなり村からとび出して来た。それでおまえの新しい主人はおまえをあほうだと思う」
「おお、ぼく、そんなこといやです」
「人が笑《わら》いさえすれば、そんなことはどうでもいいじゃないか。さておまえは初《はじ》めてこのだんなの所へ家来になってやって来た。そして食事のテーブルごしらえを言いつけられる。それ、ちょうどそこに、芝居《しばい》に使うテーブルがある。さあ、仕度におかかり」
このテーブルの上には、おさらに、コップに、ナイフが一本、フォークが一本、白いテーブルかけが一|枚《まい》置《お》いてあった。
どうしてこれだけのものをならべようか。
わたしはそれを考えて、両手をつき出してテーブルによっかかって、ぽかんと口を開けたまま、なにから手をつけていいか困っていると、親方は両手を打って、腹《はら》をかかえて笑《わら》いだした。
「うまいうまい。それこそ本物だ」とかれはさけんだ。「わたしが先《せん》に使っていた子どもは狡猾《こうかつ》そうな顔つきで、どうだ、あほうのまねはうまかろうと言わないばかりであった。おまえのはそれがいかにも自然《しぜん》でい
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