とき、広告屋《こうこくや》はたいこをたたいて、最後《さいご》にもう一度村の往来《おうらい》を一めぐりめぐり歩いていた。
 カピとわたしの仕度ができてから、わたしは外へ出て、柱の後ろに立って見物の来るのを待っていた。
 たいこの音はだんだん高くなった。もうそれはさかり場に近くなって、ぶつぶつ言う人の声も聞こえた。たいこのあとからは子どもがおおぜい調子を合わせてついて来た。たいこを打ちやめることなしに、広告屋《こうこくや》は芝居小屋《しばいごや》の入口にともっている二つの大きなかがり火のまん中に位置《いち》をしめた。こうなると見物はただ、中にはいって場席《ばせき》を取れば、芝居《しばい》は始められるのであった。
 おやおや、いつまで見物の行列は手間を取ることであろう。それでも戸口のたいこはゆかいそうにどんどん鳴り続《つづ》けていた。村じゅうの子どもは残《のこ》らず集まっているにちがいなかった。けれど四十フランの金をくれるものは子どもではなかった、ふところの大きい、物おしみをしない紳士《しんし》が来てくれなければならなかった。
 とうとう親方は始めることに決心した。でも小屋はとてもいっぱいになるどころではなかった。それでもわたしたちはろうそくというやっかいな問題があるので、このうえ長くは待てなかった。
 わたしはまずまっ先に現《あらわ》れて、ハープにつれて二つ三つ歌を歌わなければならなかった。正直に言えばわたしが受けたかっさいはごく貧弱《ひんじゃく》だった。わたしは自分を芸人《げいにん》だとはちっとも思ってはいなかったけれど、見物のひどい冷淡《れいたん》さがわたしをがっかりさせた。わたしがかれらをゆかいにしえなかったとすると、かれらはきっとふところを開けてはくれないであろう。わたしはわたしが歌った名誉《めいよ》のためではなかった。それはあわれなジョリクールのためであった。ああ、わたしはどんなにこの見物を興奮《こうふん》させ、かれらを有頂天《うちょうてん》にさせようと願《ねが》っていたことだろう……けれども見物席《けんぶつせき》はがらがらだったし、その少ない見物すら、わたしを『希世《きせい》の天才』だと思っていないことは、わかりすぎるほどわかっていた。
 でもカピは評判《ひょうばん》がよかった。かれはいく度もアンコールを受けた。カピのおかげで興行《こうぎょう》が割《わ》れるようなかっさいで終わった。かれらは両手をたたいたばかりでなく、足拍子《あしびょうし》をふみ鳴らした。
 いよいよ勝負の決まるときが来た。カピはぼうしを口にくわえて、見物の中をどうどうめぐりし始めた。そのあいだわたしは親方の伴奏《ばんそう》でイスパニア舞踏《ぶとう》をおどった。カピは四十フラン集めるであろうか。見物に向かってはありったけのにこやかな態度《たいど》を示しながら、この問題がしじゅうわたしの胸《むね》を打った。
 わたしは息が切れていた。けれどカピが帰って来るまではやめないはずであったから、やはりおどり続《つづ》けた。かれはあわてなかった。一|枚《まい》の銀貨《ぎんか》ももらえないとみると、前足を上げてその人のかくしをたたいた。
 いよいよかれが帰って来そうにするのを見て、もうやめてもいいかと思ったけれど、親方はやはりもっとやれという目くばせをした。
 わたしはおどり続《つづ》けた。そして二足三足カピのそばへ行きかけて、ぼうしがいっぱいになっていないことを見た。どうしていっぱいになるどころではなかった。
 親方はやはりみいりの少ないのを見ると、立ち上がって、見物に向かって頭を下げた。
「紳士《しんし》ならびに貴女《きじょ》がた。じまんではございませんが、本夕《ほんせき》はおかげさまをもちまして、番組どおりとどこおりなく演《えん》じ終わりましたとぞんじます。しかしまだろうそくの火も燃《も》えつきませんことゆえ、みなさまのお好《この》みに任《まか》せ、今度は一番てまえが歌を歌ってお聞きに入れようと思います。いずれ一座《いちざ》のカピ丈《じょう》はもう一度おうかがいにつかわしますから、まだご祝儀《しゅうぎ》をいただきませんかたからも、今度はたっぷりいただけますよう、まえもってご用意を願《ねが》いたてまつります」
 親方はわたしの先生ではあったが、わたしはまだほんとうにかれの歌うのを開いたことはなかった。いや、少なくともその晩《ばん》歌ったように歌うのを開いたことがなかった。かれは二つの歌を選《えら》んだ。一つはジョセフの物語で、一つはリシャール獅子王《ししおう》の歌であった。
 わたしはほんの子どもであったし、歌のじょうずへたを聞き分ける力がなかったが、親方の歌はみょうにわたしを動かした。かれの歌を聞いているうちに、目にはなみだがいっぱいあふれたので、舞台《ぶたい
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