ら見晴らす地平線上に限《かぎ》られていた。
わたしの親方は王さまに会ったことがある。その王さまはかれと話をした。いったいこの親方は若《わか》いときなんであったろう。それがどうしてこの年になって、いまのような身の上になったのだろう……
わたしの、活発に鋭敏《えいびん》に働《はたら》く幼《おさな》い想像《そうぞう》と好奇心《こうきしん》は、この一つのことにばかり働《はたら》いた。
七里ぐつをはいた大男
南部地方の高原のかわききった土地をはなれてのち、わたしたちは、いつも青あおとした谷間の道を通って、旅を続《つづ》けた。これはドルドーニュ川の谷で、わたしたちは毎日少しずつこの谷を下りて行った。なにしろこの地方は土地が豊《ゆた》かで、住民《じゅうみん》も従《したが》って富貴《ふうき》であったから、わたしたちの興行《こうぎょう》の度数もしぜん多くなり、例《れい》のカピのおぼんの中へもなかなかたくさんのお金が投げこまれた。
ふと空中に、ふうわりとちょうど霧《きり》の中にくもの糸でつり下げられたように、橋が一つ、大きな川の上にかかっていた。川はその下にごくおだやかに流れていた――これはキュブザックの橋で、川はドルドーニュ川であった。
あれた町が一つ、そこには古いおほりもあり、岩屋もあり、塔《とう》もあった。修道院《しゅうどういん》のあれたへいの中には、せみが雑木《ぞうき》の中で、そこここに止まって鳴いていた――これはセンテミリオン寺であった。
けれどそれもこれもみんなわたしの記憶《きおく》の中でこんがらがって、ぼやけてしまっているが、そののちほどなく、ひじょうに強い印象《いんしょう》をあたえた景色《けしき》が現《あらわ》れた。それは今日でもありありと、全体のうきぼりがさながら目の前に現れるくらいあざやかであった。
わたしたちはあるごくびんぼうな村に一夜を明かして、あくる日夜の明けないうちから出発した。長いあいだわたしたちは、ほこりっぽい道を歩いて来て、両側《りょうがわ》にはしじゅうぶどう畑ばかりを見て来たのが、ふと、それはあたかも目をさえぎっていた窓かけがぱらりと落ちたように、眼界《がんかい》が自由に開けた。
大きな川が一つ、わたしたちのそのとき行き着いた丘《おか》のぐるりをゆるやかに流れていた。この川のはるか向こうに不規則《ふきそく》にゆがんだ地平線までは、大都市の屋根や鐘楼《しょうろう》が続《つづ》いて散《ち》らばっていた。どれが家だろう。どれがえんとつだろう。中でいちばん高い、いちばん細いのが、五、六木、柱のように空につっ立って、そのてっぺんからまっ黒なけむりをふき出しては、風のなぶるままに、たなびいて、町の真上《まうえ》に黒いガスの雲をわかしていた。川の上には、ちょうど中ほどの河岸《かし》通りに沿《そ》って数知れない船が停泊《ていはく》して、林のようにならんだ帆柱《ほばしら》や、帆づなや、それにいろいろの色の旗《はた》を風にばたばた言わせながらおし合いへし合いしていた。がんがんひびく銅《どう》や鉄の音やつちの音、そういう物音の中に、河岸《かし》通りをからから走って行くたくさんの車の音が交じって聞こえた。
「これがボルドーだ」と親方がわたしに言った。
わたしのような子どもにとっては――その年までせいぜいクルーズのびんぼう村か、道みち通って来たいくつかのちっぽけな町のほかに見たことのない子どもにとっては、これはおとぎ話の国であった。
なにを考えるともなく、わたしの足はしぜんと止まった。わたしはじっと立ち止まったまま、前のほうをながめたり、後ろのほうをながめたり、ただもうぼんやりそこらを見回していた。
しかし、ふとわたしの目は一点にとどまった。それは川の面をふさいでいるおびただしい船であった。
つまりそれはなんだかわけのわからない、ごたごたした活動であったが、それが自分でもはっきりつかむことのできない、ひじょうに強い興味《きょうみ》をわたしの心にひき起こした。
いくそうかの船は帆《ほ》をいっぱいに張《は》って、一方にかたむきながら、ゆうゆうと川を下って行くと、こちらからは反対に上って行った。島のように動かずに止まっているものもあれば、どうして動いているかわからないで、くるくる回っている船もあった。最後《さいご》にもう一つ、帆柱《ほばしら》もなければ、帆もなしに、ただえんとつの口から黒いけむりのうずを空に巻《ま》きながら、黄ばんだ水の上に白いあわのあぜを作りながら、ずんずん走っているものもあった。
「ちょうどいまが満潮《まんちょう》だ」と親方はこちらから問いかけもしないのに、わたしのおどろいた顔に答えて言った。
「長い航海《こうかい》から帰って来た船もある。ほら、ペンキがはげてさびついたようになって
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