これからわたしたちの身の上も変《か》わってくるよ。もう四時間もすればパリだから」と言った。
「へえ、ではあすこに遠く見えるのが、パリなんですか」とわたしは問うた。
「うん」
親方がそう言って指さしをしたとき、ちょうど日がかっとさして、ちらりと金色《こんじき》にかがやく光が目にはいったように思った。
まったくそのとおりであった。やがて黄金の木を見つけるであろう。
「わたしたちはパリへ行ったら別《わか》れようと思う」とかれはとつぜん言った。
すぐに空はまた暗《くら》くなった。黄金の木は見えなくなった。わたしは親方に目を向けた。かれもまたわたしを見た。わたしの青ざめた顔色とふるえるくちびるとは、わたしの心の中のあらしをはっきりと現《あらわ》していた。
「おまえ、心配しているとみえるね。悲しいか。わたしにはわかっているよ」
「別《わか》れるんですって」わたしはやっとつぶやいた。
「ああそうだよ。別れなければね」
こう言ったかれの調子がわたしの目になみだをさそった。もう久《ひさ》しくわたしはこんな優《やさ》しいことばを聞かなかった。
「ああ、あなたはじつにいい人です」とわたしはさけんだ。
「いや、いい子はおまえだよ。じつに親切ないい子だ。人間は一生にしみじみ人の親切を感ずるときがあるものだ。何事もよくいっているときには、だれが自分といっしょにいるか、ろくろく考えることなしに世の中を通って行く。けれど物事がちょいちょいうまくいかなくなり、悪いはめには落ちてくるし、とりわけ人間が年を取ってくると、だれかにたよりたくなるものだ。わたしがおまえにたよると聞いたら、びっくりするかもしれないが、でもそれはまったくだよ。ただおまえがわたしのことばを聞き、わたしをなぐさめてくれて、なみだを流してくれると、わたしはたまらないほどうれしい。わたしも不幸《ふしあわ》せな人間であったよ」
わたしはなんと言っていいかわからなかった。わたしはただかれの手をさすった。
「しかも不幸《ふこう》なことには、わたしたちはおたがいのあいだがだんだん近づいてこようというじぶんになって、別《わか》れなければならないのだ」
「でもあなたはわたしをたった一人パリへ捨《す》てて行くのではないでしょう」とわたしはこわごわたずねた。
「いいや、けっしてそんなことはない。おまえはこの大きな町で自分一人なにができよう。わ
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