たしはおまえを捨てる権利《けんり》がないのだ。それは覚《おぼ》えておいで。わたしはあの優《やさ》しいおくさんが、おまえを引き取って自分の子にして育てようというのを、聞かなかった。あの日からわたしはおまえのためにできるだけつくしてやる義務《ぎむ》ができたのだ。だがわたしはいまの場合、なにもしてやることができない。それでわたしは別《わか》れるのがいちばんいいと考えたわけだ。それもほんのしばらくのあいだだ。わたしたちはこの時候《じこう》の悪い二、三か月だけも別《わか》れているほうがいいのだ。カピのほかみんないなくなってしまった一座《いちざ》では、パリにいてもなにができよう」
かれの名が出ると、かわいいカピはわたしたちのそばへやって来た。かれは前足を右の耳の所へ上げて、軍隊《ぐんたい》風の敬礼《けいれい》をして、それを胸《むね》に置《お》いて、あたかもわたしたちはかれの誠実《せいじつ》に信頼《しんらい》することができるというようであった。親方は犬の頭に優《やさ》しく手を当てそれをおさえた。
「そうだよ。おまえは善良《ぜんりょう》な忠実《ちゅうじつ》な友だちだ。けれど情《なさ》けないことにはほかのものがいないでは、もうたいしたことはできないのだ」
「でもわたしのハープは……」
「わたしもおまえのような子どもが二人あれば、うまくゆくのだ。けれど老人《ろうじん》がたった一人、男の子を連《つ》れたのでは、ろくなことはない。わたしはまだ老《お》いくちたというのでもない。まあいっそめくらになるか、足の骨《ほね》でも折《お》れてくれればいいのだ。だがまだわたしは人びとの足を止めさせ、目をつけさせるほど情《なさ》けないありさまにもなってはいない。それにお上《かみ》の救助《きゅうじょ》を受けるようなはずかしいことはできない。そこでわたしはおまえを冬の終わりまで、ある親方の所へやろうと心を決めた。親方はおまえをほかの子どもたちの仲間《なかま》に入れてくれるだろう。そこでおまえはハープをひけばいいのだ」
「そうしてあなたは」とわたしはたずねた。
「わたしはパリでは顔を知られている。たびたびこちらへは来ていたことがある。このまえおまえの村へ行ったときも、パリから行ったのだ。大道でハープやヴァイオリンをひくイタリアの子どもらにけいこをしてやる。わたしはただ広告《こうこく》をさえすれば欲《ほ》しいだ
前へ
次へ
全160ページ中145ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング