しか若者《わかもの》の気《き》がかわって、馬《うま》の死骸《しがい》なんぞと取《と》りかえては損《そん》だと考《かんが》えて、布《ぬの》を取《と》り返《かえ》しにでも来《く》ると大《たい》へんだ。」と思《おも》って、後《あと》をも見返《みかえ》らずに、さっさと駆《か》けて行ってしまいました。
五
若者《わかもの》は、下男《げなん》の姿《すがた》が遠《とお》くに見《み》えなくなるまで見送《みおく》りました。それからそこの清水《しみず》で手《て》を洗《あら》いきよめて、長谷寺《はせでら》の観音《かんのん》さまの方《ほう》に向《む》いて手を合《あ》わせながら、
「どうぞこの馬《うま》をもとのとおりに生《い》かして下《くだ》さいまし。」
と、目《め》をつぶって一生懸命《いっしょうけんめい》にお祈《いの》りをしました。
そうすると死《し》んでいた馬《うま》がふと目をあいて、やがてむくむく起《お》き上《あ》がろうとしました。若者《わかもの》は大《たい》そうよろこんで、さっそく馬《うま》の体《からだ》に手《て》をかけて起《お》こしてやりました。それから水《みず》を飲《の》ませたり、食《た》べ物《もの》をやったりするうちに、すっかり元気《げんき》がついて、しゃんしゃん歩《ある》き出《だ》しました。
若者《わかもの》は、近所《きんじょ》で布《ぬの》一|反《たん》の代《か》わりに、手綱《たづな》とくつわを買《か》って馬《うま》につけますと、さっそくそれに乗《の》って、またずんずん歩《ある》いて行きました。
その晩《ばん》は宇治《うじ》の近《ちか》くで日が暮《く》れました。若者《わかもの》はゆうべのようにまた布《ぬの》一|反《たん》を出《だ》して、一|軒《けん》の家《いえ》に泊《と》めてもらいました。
その明《あ》くる朝《あさ》早《はや》くから、若者《わかもの》はまた馬《うま》に乗《の》って、ぽかぽか出《で》かけました。もう間《ま》もなく京都《きょうと》の町《まち》に近《ちか》い鳥羽《とば》という所《ところ》まで来《き》かかりますと、一|軒《けん》の家《いえ》で、どこかうち中《じゅう》よそへ旅《たび》にでも立《た》つ様子《ようす》で、がやがやさわいでおりました。若者《わかもの》はふと考《かんが》えました。
「この馬《うま》をうかうか京都《きょうと》まで引《ひ》っ張《ぱ》って行《い》って、もし知《し》っている者《もの》にでも逢《あ》って、盗《ぬす》んで来《き》たなぞと疑《うたが》われでもしたら、とんだ迷惑《めいわく》な目《め》にあわなければならない。ちょうどこのうちの人たちはよそへ行くところらしいから、きっと馬《うま》が入《い》り用《よう》だろう。ここらで売《う》って行《い》く方《ほう》が安心《あんしん》だ。」
こう思《おも》って、若者《わかもの》は、
「もしもし、安《やす》くしておきますから、この馬《うま》を買《か》って下《くだ》さいませんか。」
といいました。するとそこのうちの人たちは、なるほどそれは有《あ》り難《がた》いが、安《やす》く売《う》るといってもさしあたりお金《かね》がない。その代《か》わり田《た》とお米《こめ》を分《わ》けて上《あ》げるから、それと取《と》りかえっこなら、馬《うま》をもらってもいいといいました。若者《わかもの》は、
「わたしは旅《たび》の者《もの》ですから、田《た》やお米《こめ》をもらっても困《こま》りますが、せっかくおっしゃることですから、取《と》りかえっこをしましょう。」
とふしょうぶしょうにいいました。
「そうですか。では馬《うま》をはいけんしよう。どれどれ。」
と向《む》こうの男はいいながら、馬《うま》に乗《の》ってみて、
「どうもこれはすばらしい馬《うま》だ。取《と》りかえっこをしてもけっして惜《お》しくはない。」
といって、近《ちか》くにある稲田《いなだ》を三|町《ちょう》と、お米《こめ》を少《すこ》しくれました。そして、
「ついでにこの家《いえ》もお前《まえ》さんにあずけるから、遠慮《えんりょ》なく住《す》まって下《くだ》さい。わたしたちは当分《とうぶん》遠方《えんぽう》へ行って暮《く》らさなければなりません。まあ、寿命《じゅみょう》があって、また帰《かえ》って来《く》ることがあったら、そのとき返《かえ》してもらえばいい。また向《む》こうで亡《な》くなってしまったら、そのまま、この家《いえ》をお前《まえ》さんのものにして下《くだ》さい。べつに子供《こども》もないことだから、後《あと》でぐずぐずいうものはだれもないのです。」
といって、家《いえ》まであずけて立《た》って行きました。
若者《わかもの》はとんだ拾《ひろ》い物《もの》をしたと思《おも》って、いわれるままに
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング