しか若者《わかもの》の気《き》がかわって、馬《うま》の死骸《しがい》なんぞと取《と》りかえては損《そん》だと考《かんが》えて、布《ぬの》を取《と》り返《かえ》しにでも来《く》ると大《たい》へんだ。」と思《おも》って、後《あと》をも見返《みかえ》らずに、さっさと駆《か》けて行ってしまいました。
五
若者《わかもの》は、下男《げなん》の姿《すがた》が遠《とお》くに見《み》えなくなるまで見送《みおく》りました。それからそこの清水《しみず》で手《て》を洗《あら》いきよめて、長谷寺《はせでら》の観音《かんのん》さまの方《ほう》に向《む》いて手を合《あ》わせながら、
「どうぞこの馬《うま》をもとのとおりに生《い》かして下《くだ》さいまし。」
と、目《め》をつぶって一生懸命《いっしょうけんめい》にお祈《いの》りをしました。
そうすると死《し》んでいた馬《うま》がふと目をあいて、やがてむくむく起《お》き上《あ》がろうとしました。若者《わかもの》は大《たい》そうよろこんで、さっそく馬《うま》の体《からだ》に手《て》をかけて起《お》こしてやりました。それから水《みず》を飲《の》ませたり、食《た》べ物《もの》をやったりするうちに、すっかり元気《げんき》がついて、しゃんしゃん歩《ある》き出《だ》しました。
若者《わかもの》は、近所《きんじょ》で布《ぬの》一|反《たん》の代《か》わりに、手綱《たづな》とくつわを買《か》って馬《うま》につけますと、さっそくそれに乗《の》って、またずんずん歩《ある》いて行きました。
その晩《ばん》は宇治《うじ》の近《ちか》くで日が暮《く》れました。若者《わかもの》はゆうべのようにまた布《ぬの》一|反《たん》を出《だ》して、一|軒《けん》の家《いえ》に泊《と》めてもらいました。
その明《あ》くる朝《あさ》早《はや》くから、若者《わかもの》はまた馬《うま》に乗《の》って、ぽかぽか出《で》かけました。もう間《ま》もなく京都《きょうと》の町《まち》に近《ちか》い鳥羽《とば》という所《ところ》まで来《き》かかりますと、一|軒《けん》の家《いえ》で、どこかうち中《じゅう》よそへ旅《たび》にでも立《た》つ様子《ようす》で、がやがやさわいでおりました。若者《わかもの》はふと考《かんが》えました。
「この馬《うま》をうかうか京都《きょうと》まで引《ひ》っ
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング