もみの木
GRANTRAEET
ハンス・クリスティアン・アンデルセン Hans Christian Andersen
楠山正雄訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)森《もり》

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(例)[#挿絵(fig44432_01.png)入る]
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[#挿絵(fig44423_01.png)入る]
 まちそとの森《もり》に、いっぽん、とてもかわいらしい、もみの木がありました。そのもみの木は、いいところにはえていて、日あたりはよく、風とおしも十分《じゅうぶん》で、ちかくには、おなかまの大きなもみの木や、はりもみの木が、ぐるりを、とりまいていました。でもこの小さなもみの木は、ただもう大きくなりたいと、そればっかりねがっていました。ですから森のなかであたたかいお日さまの光のあたっていることや、すずしい風の吹くことなどは、なんともおもっていませんでした。また黒いちごや、オランダいちごをつみにきて、そこいらじゅうおもしろそうにかけまわって、べちゃくちゃおしゃべりしている百姓のこどもたちも、気にかからないようでした。こどもたちは、つぼいっぱい、いちごにしてしまうと、そのあとのいちごは、わらでつないで、ほっとして、小さいもみの木のそばに、腰《こし》をおろしました。そして
「やあ、ずいぶんかわいいもみの木だなあ。」
と、いいいいしました。けれど、そんなことをいわれるのが、このもみの木は、いやで、いやで、なりませんでした。
 つぎの年、もみの木は新芽《しんめ》ひとつだけはっきりのび、そのつぎの年には、つづいてまた芽ひとつだけ大きくなりました。そんなふうで、もみの木の歳《とし》は、まいねんふえてゆく節《ふし》のかずを、かぞえて見ればわかりました。
 小さいもみの木は、ためいきをついて、こういいました。
「わたしも、ほかの木のように大きかったら、さぞいいだろうなあ。そうすれば、枝《えだ》をうんとのばして、たかい梢《こずえ》の上から、ひろい世のなかを、見わたすんだけど。そうなれば、鳥はわたしの枝に巣《す》をかけるだろうし、風がふけば、ほかの木のように、わたしも、おうように、こっくりこっくりしてみせてやるのだがなあ。」
 こんなふうでしたから、もみの木は、お日さまの光を見ても、とぶ鳥を見ても、それから、あさゆう、頭《あたま》の上をすうすうながれていく、ばらいろの雲を見ても、ちっともうれしくありませんでした。
 やがて冬になりました。ほうぼう雪が白くつもって、きらきらかがやきました。するとどこからか一ぴきの野うさぎが、まい日のように来て、もみの木のあたまをとびこえとびこえしてあそびました。――ああ、じつにいやだったらありません。――でも、それからのち、ふた冬とおりこすと、もみの木はかなり、せいが高くなりましたから、うさぎはもうただ、そのまわりを、ぴょんぴょん、はねまわっているだけでした。
「ああうれしい。だんだんそだっていって、今に大きな年をとった木になるんだ。世のなかにこんなにすばらしいことはない。」
 もみの木は、こんなことを考《かんが》えていました。
 秋になると、いつも木こりがやって来て、いちばん大きい木を二、三本きりだします。これは、まい年のおきまりでした。そのときは、見あげるほど高い木が、どしんという大きな音をたてて、地面《じめん》の上にたおされました。そして枝をきりおとされ、太《ふと》いみきのかわをはがれ、まるはだかの、ほそっこいものにされて、とうとう、木だかなんだかわけのわからないものになると、この若いもみの木は、それをみてこわがってふるえました。けれども、それが荷車《にぐるま》につまれて、馬にひかれて、森を出ていくとき、もみの木はこうひとりごとをいって、ふしぎがっていました。
 みんな、どこへいくんだろう。いったいどうなるんだろう。
 春になって、つばめと、こうのとりがとんで来たとき、もみの木はさっそくそのわけをたずねました。
「ねえ、ほんとにどこへつれて行かれたんでしょうね。あなたがた。とちゅうでおあいになりませんでしたか。」
 つばめはなんにもしりませんでした。けれどもこうのとりは、しきりとかんがえていました。そしてながいくびを、がってん、がってんさせながら、こういいました。
「そうさね、わたしはしっているとおもうよ。それはね、エジプトからとんでくるとちゅう、あたらしい船《ふね》にたくさん、わたしは出あったのだが、どの船にもみんな、りっぱなほばしらが立っていた。わたしはきっと、このほばしらが、おまえさんのいうもみの木だとおもうのだよ。だって、それにはもみの木のにおいがしていたもの。そこで、なんべんでも、わたしはおことづけをいいます。大きくなるんだ、大きくなるんだってね。」
「まあ、わたしも、遠い海をこえていけるくらいな、大きい木だったら、さぞいいだろうなあ。けれどこうのとりさん、いったい海ってどんなもの。それはどんなふうに見えるでしょう。」
「そうさな、ちょっとひとくちには、とてもいえないよ。」
 こうのとりはこういったまま、どこかへとんでいってしまいました。そのとき、空の上でお日さまの光が、しんせつにこういってくれました。
「わかいあいだが、なによりもいいのだよ。ずんずんのびて、そだっていくわかいときほど、たのしいことはないのだよ。」
 すると、風も、もみの木にやさしくせっぷんしてくれました。つゆもはらはらと、しおらしいなみだを、かけてくれました。けれどももみの木には、それかどういうわけかわかりませんでした。
 クリスマスがちかくなってくると、わかい木がなんぼんもきりたおされました。なかには、このもみの木よりもわかい小さいのがありましたし、またおない年ぐらいのもありました。ですからもみの木は、じぶんも早くよその世界《せかい》へでたがって、まいにち、気が気でありませんでした。そういうわかい木たちは、なかでも、ことに枝ぶりの美しい木でしたから、それなりきられて、車につまれて、馬にひかれて、森をでていきました。
「どこへいくんだろう。あの木たちは、みんな、わたしより小さいし、なかにはずっと小さいのもある。それからまた、なんだって、枝をきりおとされないんだろう。いったい、どこへつれていかれるんだろう。」
 もみの木は、こういってきくと、そばですずめたちが、さえずっていいました。
「しっているよ、しっているよ、町へいったとき、ぼくたちは、まどからのぞいたから、しっているよ。みんなは、そりゃあすばらしいほど、りっぱになるんだよ。まどからのぞくとね、あたたかいおへやのまんなかに、小さなもみの木は、みんな立っていたよ。金《きん》いろのりんごだの、蜜《みつ》のお菓子《かし》だの、おもちゃだの、それから、なん百とも知れないろうそくだので、それはそれは、きれいにかざられていたっけ。」
「で、それから――。」と、もみの木は、のこらずの枝をふるわせながらたずねました。「ねえ[#「「ねえ」は底本では「ね「え」]、それから、どうしたの。」
「うん、それからどうしたか、ぼくたちはしらないよ。とにかく、あんなきれいなものは、ほかでは見たことがないね。」
「ああ、どうかして、そんなはなばなしい運《うん》がめぐってこないかなあ。」と、もみの木は、とんきょうな声をあげました「それこそ白い帆《ほ》をかけて、とおい海をこえていくよりも、ずっとよさそうだ。ああ、いきたいな。いきたいな。はやく、クリスマスがくればいいなあ。わたしはもう、去年、つれていかれた木とおなじくらい、せいが高くなったし、すっかり大きくそだってしまった。――ああ、どうかして、はやく荷車《にぐるま》の上に、つまれるようになればいいなあ、そして、目のさめるように、りっぱになって、あたたかいへやに、すみたいものだなあ。だが、それからは、それからはどうなるだろう。――たぶん、それからは、もっといいことがおこるだろう。もっとおもしろいことに、ぶつかるだろう。もしそうでなければ、そんなにきれいに、わたしたちをかざっておくはずがないもの。きっとなにか、たいしたことがおこるんだろう。すばらしいことが、やってくるんだろう。だがそれはなんだろうなあ。――なんだかわからないが、ただいきたい。ああ、たまらないぞ。もう、じぶんでじぶんがわからないんだ。」
 そのときまた、風とお日さまの光とが、やさしく声をかけました。
「わたしたちのなかにいるほうがきらくだよ。このひろびろしたなかで、げんきのいい、わかいときを、十分にたのしむのがいいのだよ。」
 けれども、もみの木は、そんなことをきいても、ちっともうれしくありませんでした。
 こうして冬が去って、夏もすぎました。もみの木はずんずんそだっていって、いつもいつもいきいきした、みどりの葉をかぶっていました。ですからたれも、このもみの木をみた人で、
「なんてまあきれいな木だろうね。」
と、いわないものはありませんでした。
 それで、クリスマスの季節《きせつ》になると、このもみの木は、とうとう、まっさきにきられました。そのとき、おのが、木のしんまできりこんだので、もみの木は、うめきごえを立てて、地の上にたおれました。からだじゅう、ずきずきいたんで、だんだん、気が遠くなりました。かんがえてみると、うれしいどころではありません。じぶんがはじめて芽《め》を出した森の家《いえ》からはなれるのは、しみじみかなしいことでした。こどものときからおなじみの、ちいさな木や花などにも、それからたぶん小鳥たちにも、もうあえないだろうとおもいました。まったく旅《たび》に出るというのは、つらいものにちがいありませんでした。
 やっと、しょうきづいて見ると、もみの木は、ほかの木といっしょにわらにくるまれて、どこかのうちのにわのなかにおかれていました。そばではひとりの男がこういっていました。
「この木はすてきだなあ。これいっぽんあればたくさんだ。」
 そこへはっぴをきた、ふたりの男がやってきました。そしてもみの木を、りっぱにかざった、大きなへやにはこんでいきました。へやのかべにはいろいろながく[#「がく」に傍点]が、かかっていました。タイルばりの大きなだんろのそばには、ししのふたのついた、青磁《せいじ》のかめが、おいてありました。そこには、ゆりいすだの、きぬばりのソファだの、それから、すくなくとも、こどもたちのいいぶんどおりだとすると、百円の百倍もするえほんや、おもちゃののっている、大きなテーブルなどがありました。もみの木は、砂《すな》がいっぱいはいっている、大きなおけのなかにいれられました。けれど、たれの目にも、それはおけとは見えませんでた。それは青あおした、きれでつつまれて、うつくしい色もようのしきものの上においてありました。まあ、このさき、どんなことになるのかしら、もみの木はぶるぶるふるえていました。召使たちについて、お嬢《じょう》さんたちも出てきて、もみの木のおかざりを、はじめました。枝にはいろがみをきりこまざいてつくったあみをかけました。そのあみの袋には、どれもボンボンや、キャラメルがいっぱいはいっていました。金紙をかぶせたりんごや、くるみの実が、ほんとうになっているように、ぶらさがりました。それから、青だの、赤だの、白だのの、ろうそくを百本あまり、どの枝にも、どの杖にもしっかりとさしました。まるで人間かと思われるほど、くりくりした目のにんぎょうが、葉と葉のあいだにぶらさがっていました。まあにんぎょうなんて、もみの木は、これまでに見たことがありませんでした。――木のてっぺんには、ぴかぴか光る金紙《きんがみ》の星をつけました。こんなにいろいろなものでかざりたてましたから、もみの木は、それこそ、見ちがえるように、りっぱになりました。
「さあ、こんばんよ。」と、その人たちは、みんないっていました。「これでこんばん、あかりがつきます。」
 それをきいて、もみの木はかんがえました。
「いいなあ、こんばんからだってねえ。はやくばんに
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