の中でも薄いながら色彩を感じて来たのです。そしてその色彩は次第に濃く遂《つい》には普通の色と少しも変りがわからなくなって来たのです。恐ろしいことです、私は寝ても覚《さ》めてもいつも同じ景色を眺めて暮しているのです。その結果いよいよ夢と現実とが二重写しのようにどちらともつかずになって来たのです。今窓外には蒼白い百合の花が頭を重たげに咲いていますが、可怪《おか》しなことにはその背景に桜が繚爛《りょうらん》と咲き、仮装の人たちがきびすを接して往来しているのです――私はそれを窓にもた[#「もた」に傍点]れて、さも当りまえのように平気で眺めているのでした。
 その他いろいろなちぐはぐな出来事があとからあとから起りました。或る日私は上野公園を、とうに死んだ筈の友人と歩きながら葉桜の感触を批評し合いました、その時どうしたはずみか桜の樹にいた毛虫が落ちて私の襟元《えりもと》にさわり、はっとした途端に私は書斎に還《かえ》されましたが不思議なことには今時分いる筈のない毛虫に、刺されたとしか思えない(診て貰った医者もそういいました)赤いはれ[#「はれ」に傍点]が襟元に残っていたのでした。
 こんな状態が続きますので学校の方はとうとう中途でやめてしまい、幸か不幸か別にその日その日には困らなかったので日がな一日この不思議な世界に浸り切っていたのです。
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 だが一方から見れば私は幸福でした、現実のこせこせした問題から隔離されて自由に空を飛び、水に潜って、古い形容詞でいえば千変万化の生活を楽んでいたのです。私の周囲には四季の花が馥郁《ふくいく》と匂う日が続くかと思うと、真夜《しんや》に誰もいないホテルをうろつくこと、又は夢の中での殺人(恐ろしいことにはそれと全く同一のことが新聞紙に報ぜられ、これはその後迷宮入りのようです)などの話がまだまだあるのですが、余り筆を執ったことのない私はもう大部疲れて来ましたので、早く結末、現在私がなぜこんな精神病院なんかに入れられたか、を書くことにします。
 その後私はこの素晴らしい世界を私一人が独占していることが罪悪のように思えて来ました、どうか他の人にもこの知られないも一つの世界を知らせてやりたかったのです――恰度そこへ登場したのが親友小田君でした、私がこんな生活をしているので多くいた友人も一人二人と次第に消息を断ってたった一人残ったのが小田君で
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