のがれるためにどんなにあせったことでしょう、しかしそのじりじりと迫る怪しい魔者から抜け出すことは出来ませんでした。いやそれどころか却て前よりも尚々現実との境界があやしくなって行くのでした。私は非常な不安になやみました、朝、眼をさましても、果して自分が本当に眼をさますことが出来たのか、それともまだ夢の続きを見ているのか、そんな簡単な下らないことにも私は喘《あえ》ぐように考えなければならないのでした。
       ×
 学校へ行って講義に出ても、眼の前の横文字はいつか縞《しま》にかす[#「かす」に傍点]んで微妙な音楽が響き、青空は眼の玉を吸い込むようにどこまでも澄みきっていて、こっそり湧いて来た貪婪《どんらん》な雲の影は音もなく地上を舐《な》め廻しています。その中で一人のちんちくりんな男が、音楽に合せて一人よがりな唄を歌っています。それをぼんやり聞き惚《ほれ》ているうちに又いつかそれが教壇に立った教師に変っているのです。それは決して昼寝の夢ではありません、もしその途中で話かけるものがあるなら、私は確実に答えているのです。ふだんの私の知らないことまで、流暢に答えているのです。私は夢を現実に見ているのですがただ悲しいかなそれは私だけにしか見ることが出来ないのでした。
 私には今夢と現実との境界がぼんやりして来たことを申しました。それについて、なおそれを助ける恐ろしい出来事が起ったのです。
 その頃から、私は、つぎつぎと訪れる夢のために殆んど寝ることが出来なかったので、とうとう催眠剤を使用するようになったのでした。なる程催眠剤は私を浅いけれど眠りに堕《おと》してくれました。けれどそれもほんの僅かの間でしかも不規則な眠りは却て恐ろしい夢を齎《もたら》すに過ぎないのでした。私はそれらから脱《のが》れるために服量を加速度に増して行かなければならなかったのです。
 その結果――余談ですが、貴方も定めし多くの夢を御覧になったことと思いますが夢には色彩がないということお気付きでしょうか。夢には色彩がないのです。けれど『音』は存在します。たとえば夢の中で知人との会話は少しの澱《よど》みも不思議もないでしょう、しかし色彩はない筈です、恰度映画のように黒と白だけの世界なのです。端的にいえばわれわれは夢の世界では典型的『色盲』なのです――それが、私は催眠剤という悪魔に囚われてからはいつとなく夢
前へ 次へ
全8ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蘭 郁二郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング