―』
鷺太郎は、冗談だと思っても、あまりいい気持はしなかった。
『一体、どうしてこんなことが解ったんですか』
『それはね、ゆうべ君が山鹿が釣竿を落して行った、というのを聞いたから、あれからサナトリウムの帰りがけに注意して行くと、あったよ、も少し遅かったら山鹿に拾われたかも知れないがね――で拾ってみると、君、可怪《おか》しいじゃないか、その釣竿には「針」がないんだ、それどころか針をつけた様子もない――太公望《たいこうぼう》じゃあるまいし毎晩夜釣りに行く人間が針をつけたことがないなんて想像も出来ないじゃないか。それで考えた末《すえ》、あの結論になった訳だけれど、わかってみれば子供だましみたいなもんだね――。ただ草叢と黒っぽい縞のカムフラージと、夜は低地の見きわめがつかぬ、という、それだけのことさ、――これに比べれば海岸開きの日の殺人の方がよっぽど巧妙だったよ』
『畔柳さん、トリックの巧拙《こうせつ》ということは、必ずしもその犯罪の難易に正比例するもんじゃない、ということがはじめてわかったですよ――、殊《こと》に実際の事件では』
春生も、感慨深そうに、副院長を見上げた。そして、
『いよいよ山鹿十介が犯人と決まった訳ですね、こっちが三人なら大丈夫でしょう。これから行ってみましょう――』
畔柳博士は、しばらく頸《くび》をかしげていたが、
『よかろう――』
そういうと、三人は意気軒昂《いきけんこう》と夜道をいそいだ。
――あの最初の、そもそも最初から怪しいと思っていた山鹿十介が、いよいよ犯人だ、と決定されたのだ。鷺太郎は、素人の感も馬鹿にはならぬ、と聊《いさ》さか得意で、先頭に立って歩いていた。
だが、山鹿の別荘は人の気配一つしなかった。電燈は全部消し去られ、いくら呼鈴《よびりん》を押しても、とうとう返事を得ることが出来なかった。
『畔柳さん、山鹿は逃げたんじゃないでしょうか』
鷺太郎は、折角《せっかく》犯人がわかりながら、それをとり遁《に》がしたのではないか、と思うと、歯を喰縛《くいしば》った。
『いや、そんな筈はない』
畔柳博士は、何か自信あり気に呟《つぶや》いた。
『明日、来よう――』
七
その翌日も、ゆうべの星空が予言したように、雲一つない快晴であった。
鷺太郎は朝早く飛起きると、看護婦たちを手伝わして、蝶だの蛾だのを、洋菓子の箱一杯につかまえ込んだ。
胴の太さが親指ほどもあろうか、と思われるような蛾や、大小各種様々な蝶が、合計二十匹ほども集められた。
『どうするんだい』
と訝《いぶ》かし気《げ》に訊く春生に、
『山鹿への御土産《おみやげ》さ……』
と鷺太郎はにやにやしながら答えた。山鹿のふるえ上《あが》る様を想像して、心中快哉を叫んでいたのである。
やがて、畔柳博士は仕事を済ますと、三人連れだって、道をいそいだ。
心配していた山鹿は、幸い在宅しているらしく、呼鈴《よびりん》を押すと婆《ばあ》やが出て来た。兼《か》ねて打合せたように、鷺太郎を残すと二人は物かげにかくれた。
『白藤ですが――。山鹿さんいましたら遊びに来たといって下さい』
わざと、洋菓子の箱を見せつけるように、持ちかえていった。
『はあ、少々おまち下さいませ』
鷺太郎は振りむいて合図をした。と同時に又婆やが出て来た。
『どうぞ……』
それと一緒に、驚ろく婆やを尻目に、どやどやと三人続いて這入《はい》ってしまった。
『やあ――』
と出て来た山鹿も、一瞬、不快な顔をしたが、遉《さす》がに、去《さ》り気《げ》なく
『どうぞ――』
応接間は八畳ほどだった。椅子につくと間もなく、畔柳博士は、
『山鹿さん、地下室をみせてくれませんか』
『えッ』
山鹿は何故《なぜ》かさっ[#「さっ」に傍点]と顔色を変えた。
鷺太郎も吃驚《びっくり》した。このはじめて来る他人の家に、地下室があろうなんて、畔柳博士はどうして知っているのであろう。それにしても、山鹿の驚愕《きょうがく》は何を意味するのか――。
山鹿は顔色を変えたまま、よろめくように立上った。
『どうぞ、こちらです』
そう呟《つぶや》くようにいって、壁に手を支えながら歩き出した。
その、うしろ姿の波打つような肩の呼吸から、何事か、この一言がひどく彼の胸を抉《えぐ》ったことを物語っていた。
――その地下室への入口は、想像も出来ぬほど巧みに、彼の書斎の壁に設けられてあった。地下室のことについては、博士は『出入《でいり》の商人から人数に合わぬ食糧を買い込んでいるからさ――』こともなげに答えた。
山鹿を先頭に、三人は黙々と並んで這入った[#「這入った」は底本では「這った」]。そこは、いかにも地下室らしい真暗なつめたい階段が十四、五段あって、又、も一つのドアーに突当った。
そのドアーが開けられると、
『あっ――』
思わず、三人とも異口同音に、低く呻《うめ》いた。そのなかは、まるで春のように明るく、暖かく、気のせいか、何か媚薬《びやく》のように甘い、馥郁《ふくいく》たる香気《こうき》すら漾《ただよ》っているのが感じられた。
然《しか》も、この別荘としては、その地下室は不相応に広いらしく、充分の間取りをもって、尚《なお》も奥へ続いているようであった。
その上、壁は四方とも美しい枠をもって鏡で貼られ、天井は全面が摺硝子《すりガラス》になっていて、白昼電燈が適当な柔かさをもって輝いてい、床には、ふかふかと足を吸込む豪奢《ごうしゃ》な絨毯《じゅうたん》が敷きつめられてあった。
それらの様子を、三人が呆然《ぼうぜん》と見詰め、見廻わしている中《うち》に、山鹿はそのドアーを閉め、それを背にして向き直った。
ああ、その顔は、いつもの皮肉な皺《しわ》が深々と刻込《きざみこ》まれ、悪鬼のように歪《ゆが》んでいた。
『ふ、ふ、ふ、とうとう捕まったね……この地下室を見つけられたのは大出来だったが、のこのこ這入《はい》って来るとは、飛んで火に入る――のたとえだね、まあ、ここを知られては三人とも二度と世の中におかえしする訳にはゆかんよ……ここで君達がどうなろうと、全然世間には漏れないんだからね……ふ、ふ、ふ』
そう低い声でいうと、いつの間にか右手には、鈍く光る短銃《ピストル》が握られていた。
(あ、しまった!)
三人とも、一瞬、歯を鳴らした。
『あ、蛾だ!』
鷺太郎が、山鹿の肩を指して叫んだ。
『え』
一寸、山鹿の体が崩れた、と鷺太郎の体が、砲弾のように飛びついたのと同時だった。
『畜生!』
ごろん、と音がすると短銃《ピストル》が落ちた。畔柳博士はすくい取るように拾った。
『山鹿! 変な真似をするな』
一挙に、又立場ががらりと逆になってしまった。まるで、それは西部活劇のような瞬間の出来事だった。
『馬鹿野郎――』
春生の右手が、山鹿の頬に、ビーンと鳴った。そして、洋服を剥取《はぎと》ると、ドアーの鍵を出して改めた。
鷺太郎は、この騒ぎに投出された「おみやげ」の箱を拾い上げると、
『山鹿、この上もないおみやげ[#「おみやげ」に傍点]だぞ……そら、蝶や蛾がうじゃうじゃいる――』
『あ、そ、それは……』
山鹿の全身は紙のように白くなって、わなわなと顫《ふる》えはじめた。その眼は真赤に充血してぴょこんと飛出し、脣《くちびる》は葡萄《ぶどう》色になって、ぴくぴくぴくとひきつっていた。
世の中に、こんなにまで凄まじい恐怖の色があろうか。相手が、あの可愛いい蝶々だというのに――。
狭い箱の中から開放された二十匹に余る様々な蝶や蛾は、あたりの明るさに酔って、さっ[#「さっ」に傍点]と飛立ち、忽《たちま》ちのうちに部屋一杯ひらひら、ひらひらと飛びかいはじめた。そしてあたりが鏡だったせいか、まるで、この部屋一杯に蛾が無類に充満し、恰《あたか》も散りしきる桜花《おうか》のように、春の夢の国のように、美しき眺めであった。
そして、余りのことに、ぐったりと倒れてしまった山鹿の周囲にも、まるでレビューのフィナーレを見るように散り、飛びしきっていた。
×
三人は、その様子をしばらく見ていたが、もう山鹿が身動きもしないし、鍵はとってしまったのだから出られまいと、尚《なお》もその奥のドアーを開けて進んだ。
その次の部屋も、前と同じつくりの二十坪ほどもあろうかと思われる部屋で、豪華な家具や寝台が置かれてあり、その上、度胆《どぎも》を抜かれるほど驚ろいたのは、その部屋に、かろうじて、紗《うすもの》をつけた、或は、それこそ一糸も纏《まと》わぬ全裸な若い少女が二十人ほども、突然の闖入者《ちんにゅうしゃ》に、恐怖の眼を上げながら彳《たたず》んでいるのであった。
と軈《やが》て、その二十人にも見えたのは、矢張《やは》り四方の鏡のせいで、実は四五人であることがのみこめたけれど、この地下に設けられた美少女群の裸体国は、一体何を物語るのであろう。
彼女等は皆磨かれたように美しい肌をし、顔を粧《よそお》っていた。だが、まるでこの世界には着物というものは知られていないかのように、何処を捜しても、それらしいものは見当らなかった。
そして又、異様な寝息に気がついて、じーと眼を据えて見ると、驚ろくべきことには、あの白藤鷺太郎に山鹿との交際を厳禁し、財産管理までしてしまった叔父の田母沢源助《たもざわげんすけ》のいぎたない[#「いぎたない」に傍点]豚のような寝姿が、つい先きの寝台の上に、ころがっていたのだ。
一瞬、鷺太郎には、すべてを飲みこむことが出来た。叔父源助は、なんと山鹿の経営する秘密団のパトロンであったのだ、とすれば山鹿に欺《かた》られた、そして又それを口実に管理されてしまった鷺太郎の財産は、この裸体国の為に、消費されてしまったのであろう。
――そんなことを考えているうちに、その裸体の彼女等は、この三人が別に危害を加えるのでないと知ったと見えて、大胆に近寄って来た。そして眼のやり場に困っている、どこへやっても四囲の鏡が彼女等の肢体を大写しに瞼《まぶた》の中に叩きこむのだから――彼に訴えた物語りは、なんと奇怪なものであった。
端的にいえば、彼女等は両親も知らぬ孤子《こじ》、又は金に売られた貧民の子供だったのだ。
それを犬ころのように買って来た山鹿は、まるで人形のように粧《よそお》わせて、この奇怪な美少女国の主となっていたのだ。
罪深き、山鹿十介――、なんと非道の悪魔であろう。その悪魔も、この人形たちに刺戟を求めきれなくなり、あの大井瑠美子を恋して一|言《ごん》のもとに退けられ、遂に殺してしまったのだ。
そして「殺人」の魅惑は、この刺戟に倦《あ》きた人形国の主に、新らたなる、強烈な刺戟を与えたのに違いない。そして、あの迷宮入りの成功は彼の気持に拍車をかけ、その刺戟慾は、この薄倖な少女達を次々にその犠牲にしようとしたのであろう。
Z海岸で匕首を刺された少女の身許が解らなかったのも無理はなかった。彼女自身ですら、あわれにもその本名すら知らなかったらしいのだ――。
この全身をパフの香気《こうき》に叩きこめられた少女等――、蠱惑《こわく》する媚《び》と技術を知りながら、小学生にも劣る無智――。山鹿とはなんという恐ろしい教育をする男であろう。
鷺太郎は、山鹿に対する怒りが火のように全身を駛《はし》って、思わず隣室の山鹿のところにかけ寄った。
『おや――』
さっき、鍵をとるために洋服を剥《は》いだままにしておいたせいか、全身、蝶や蛾の鱗粉《りんぷん》があたったところは、まるで火の粉をあびたように、赤く腫《は》れ上《あが》り、火ぶくれのようになって、既に息絶えていた。
『山鹿は蝶に殺された――』
鷺太郎は、呟《つぶや》くようにいった。
少女たちも、自分等を猫のようにあつかった、山鹿の死体を、心地よげに見下ろしていた。
『嫌悪感――というもんは非道《ひど》いもんだな、鱗粉が触っただけで、皮膚が潰瘍《かいよう》する許《ばかり》か、心臓麻痺まで起すんですね』
春生がいうと、畔柳博士は、こ
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