やかに照りかがやいた。
 鷺太郎は、偸見《ぬすみみ》るようにして、経木《きょうぎ》の帽子をまぶかに被《かぶ》りゆっくりと歩いて行った。
 その少女は、熱砂《ねっさ》の上に、俯伏になっていたが、時折、両の手をぶるぶると顫《ふる》わせながら、砂をかき乱していた。その手つきは砂《すな》いたずら[#「いたずら」に傍点]にしては、甚《はなは》だ不器用なものであった。なぜなら、彼女は自分の顔に砂のとびかかるのも知らぬ気に美しい爪を逆立てて掻寄《かきよ》せていたのだ――。
 ――鷺太郎が、いや、その周りにいた沢山の人たちが、その意味を知ったならば、どんなに仰天したことだろう――。
 鷺太郎の眼を奪った美少女は、矢張り誰もの注目の的になると見えて、そのあたりに学生らしい四五人の一団と、家族らしい子供二人を連れた一組と、そして見張りの青年団員が三人ばかり、渚に上げられた釣舟に腰をかけていたが、時々見ないような視線を投げ合うのを、鷺太郎はさっきから知っていた。
 彼女の、いま寝ているところは、先程までその学生達の三段|跳《とび》競技場であったが、いまは彼女一人、のけもののように、ぺたんとその空地へ寝ているのである。
 彼女は、猶《なお》もその無意味な砂《すな》いたずら[#「いたずら」に傍点]を二三度くり返したようであったが、それにも倦《あき》たのか、顔にかかった砂を払おうともせず、ぐったりと「干物」のようにのびていた。尤《もっと》も、干物にしては、余りに艶やかに美しかったけれど――。
 恰度《ちょうど》鷺太郎が、その横まで通りかかって行った時だ。テントの中から、妹らしい少女が、熱い砂の上を、螽※[#「虫+斯」、第3水準1−91−65]《ばった》のように跳ねながらやって来て、
『お姉さま――どお、まだ寒いの?』
『…………』
『ねえ、あんまり急に照らされちゃ毒よ――』
『…………』
 それでも、彼女は返事をしなかった。
『ええ、お姉さまったら……』
 そういって、抱き起そうとした時だ。
『アッ!』
 と一声、のけぞるような、驚ろきの声を上げると、
『芳《よ》っちゃん芳っちゃん、来てよ、へんだわ、へんだわお姉さまが――』
 と、テントに残っていたお友達に叫んだ。
 鷺太郎は、その突調子もない呼声《よびごえ》に、思わず来過ぎたその少女の方を振かえって見ると、
『おやっ……』
 彼も低く呟《つぶや》いた。
 つい、先《さ》っきまで、あんなに血色のいい、明るかった美少女の顔が、いつの間にか、その顔を埋《うず》めた砂のように、鈍く蒼《あお》ざめているのだ、その上、眼は半眼にされて、白眼が不気味に光り、頬の色はすき透ったように、血の気がなかった。
(どうしたんだろう――)
 一寸《ちょっと》、立止っていると、呼ばれた芳《よ》っちゃんという少女と一緒に、もうあたりの学生が、
『どうかしたんですか――』
 と寄って来た。
『あっ、脈がない、死んでる――』
 手を握った一人の学生が、頓狂《とんきょう》な声を上げた。
『えッ』
 妹と芳っちゃんの顔が、さっと変った。
『どした、どした』
 物見高い浜の群衆が、もう蟻のように蝟《あつ》まって来た。
 鷺太郎も、引つけられるように、その人の群にまざって覗《のぞ》きみると、早くも馳《かけ》つけたらしいあの山鹿十介が、その脈を見ていた学生と一緒に、手馴《てな》れた様子で、抱き起していた。
『やっ、これは――』
 遉《さすが》の山鹿十介も、ビックリしたような声を上げた。
『お――』
 すでに、輪になった海水着の群衆も、ハッと一歩あとに引いたようだ。
 その、美少女の左の胸のふくらみの下には、何時《いつ》刺されたのか、白い※[#「木+覇」、第4水準2−15−85]《つか》のついた匕首《あいくち》が一本、無気味な刃を衂《ちぬら》して突刺っているのだ。
 そして、抱き起された為か、その傷口から滾《こぼ》れ出る血潮が、恰度、その深紅の水着が、海水に溶けたかのように、ぽとり、ぽとりと、垂れしたたっていた。
 あたりは、ギラギラと、目も眩暈《くら》むような、明るい真夏の光線に充たされていた。そのためか、真白な四肢と、深紅の水着――、それを彩る血潮との対照が、ひどく強烈に網膜につきささるのであった。
 ――鷺太郎は、蹌踉《よろめ》くように、人の輪を抜けて、ほっ[#「ほっ」に傍点]と沖に目をやっていた。
 あまりに生々しいそれに、眼頭《めがしら》が痛くなったのだ。
『白藤――さん、じゃありませんか』
『え』
 ふりかえると、光線除けの眼鏡の中で、山鹿がにやにやと笑っていた。
『やあ――』
 彼も仕方なげに、帽子の縁《へり》に手をかけながら、挨拶した。
『すっかり御無沙汰で――お体が悪かったそうですけど……』
『いや、もういいんですよ』
『そうですか、それは何よりですね』
 山鹿は白々しく口をきると、
『どうも驚ろきましたね、この人の出さかる海岸開きの真ッ昼《ぴるま》だっていうのに、人殺しとはねえ――』
 馴れ馴れしく話しだした。
『ほう、殺られたんですかね』
『そりゃそうでしょう。自殺するんなら、――それに若い娘ですもん、こんな人ごみの中で短刀自殺なんかするもんですか、もっと、どうせ死ぬんならロマンチックにやりますよ、全く――』
『へえ、でも、僕はさっきから見てたんですけど、誰もそばに行かなかったですよ……』
『さっき[#「さっき」に傍点]から見てられて、ね――』
 山鹿は、一寸皮肉気に、口を歪《ゆが》めて笑った。これが、この男のくせ[#「くせ」に傍点]であった。
『いいや、それは……』
 鷺太郎は、
(畜生――)
 と思いながらも、ぽーっと耳朶《みみたぼ》の赤らむのを感じて、
『いや、それにしても……成るほど、あそこに寝るまで手に何も持っていなかったですね……匕首《あいくち》が落ちていたんじゃないかな』
『冗談でしょう。この人の盛上った海岸に、抜身の匕首が、それもたて[#「たて」に傍点]に植《うわ》っていた、というんですか、はははは、――そして、あんなに見事に、心臓をつき抜くほど、体を砂の上に投出すなんて、トテモ考えられませんね』
『そう――ですね、そういえばあそこでは学生がさっきから三段跳をやったり、転がったりしていたんだから――となると、わかんないな……』
『まったく、わからん、という点は同感です、あなた[#「あなた」に傍点]のお話しでは、あの少女は短刀を持っていなかった、そして寝てからも、誰もそばへは行かなかった――それでいて、匕首がささって殺された……』
『一寸。何も僕ばかりが注目していたわけじゃないでしょう。あんな綺麗な人だから僕よか以前からずーっと眼を離さなかった人がいるかも知れませんよ』
『なるほど、実はこの私も、注目の礼をしていたような訳でしてね、ははは……』
 山鹿は、人をくったように、黄色い歯齦《はぐき》を出して笑うと、
『この先に、私の小さい別荘があるんですが、こんど是非一度ご来臨の栄を得たいもんですね』
『そうですか、じゃ、そのうち一ど……』
(どうせ、ろくな金で建てたんじゃなかろう)
 と思いながら、不図《ふと》、
『ああ、山鹿さん、あの少女は匕首を投げつけられたんじゃないでしょうか、何処からか、素早く……』
『ふーん』
 山鹿は頸《くび》をかしげたが、すぐ、
『駄目駄目。投げつけた匕首が、砂を潜《もぐ》って、俯伏《うつぶせ》になった体の下から、心臓を突上げられる道理がないですよ……、ところで、あの前後に、あの一番近くを通ったのはあなた[#「あなた」に傍点]じゃないですか――、どうもその浴衣《ゆかた》すがたというのは、裸※[#小書き片仮名ン、319−2]坊の中では眼《め》だちますからね――』
『冗、冗談いっちゃいけませんよ、僕が、あの見も知らぬ少女を殺ったというんですか』
 鷺太郎は、この無礼な山鹿に、ひどく憤《いきどお》ろしくなった。
『僕、失敬する――』
 帰ろう、とした時だった。色の褪《さ》めたビーチコートを引っかけた青年団員が飛んで来て、
『すみませんが、この辺にいられた方は暫《しばら》くお立ちにならないで下さい』
 と、引止められた。
(ちぇっ!)
 と舌打ちしながら、山鹿の横顔を偸見《ぬすみみ》ると、彼は相変らずにやにやと薄く笑いながらわざと外《そ》っぽを向いていた。
(まあいい、「サフラン」でアリバイをたててくれるだろう――)
 彼は仕様事《しようこと》なしに、又沖に眼をやると、恰度今、早打《はやうち》がはじまったところで、
 ポン、ポン、ポン、ドガァーン。
 とはずんだ音が響き、煙の中からぽっかりと浮出した風船人形が、ゆたりゆたりと呆《ほう》けたように空を流れ、浜の子供たちがワーッと歓声をあげ乍《なが》ら、一かたまりになって、それを追かけて行くところであった。
 浜は、この奇怪な殺人事件の起ったのも知らぬ気に、最も張切った年中行事の一つである海岸開きに、溌剌《はつらつ》とわき、万華鏡のように色鮮やかに雑沓していた。
      ×
 あの華やかにも賑わしい「海岸開き」の最中に、突然浜で起った奇怪極まる殺人事件は、その被害者がきわだった美少女であった、ということ以外に、その殺人方法が、また極めて不思議なものであった――ということで、すっかり鷺太郎の心を捕えてしまったのだ。
 彼は、サナトリウムに帰っても、その実見者であった、ということから、好奇にかられた患者や看護婦に、幾度となく、その一部始終を話させられた。
 然《しか》し、いくら繰返し話させられても、ただそれが稀《まれ》に見る不可思議な犯罪だ、ということを裏書し、強調するのみで、とても解決の臆測すらも浮ばなかった。
 ――彼女(翌日の新聞で東京の実業家大井氏の長女瑠美子であることを知った)は、あの浜に寝そべりながら、二三度両手で邪慳《じゃけん》に砂を掻廻《かきまわ》していた、――とすると、それは砂いたずら[#「いたずら」に傍点]ではなくて、既に胸に匕首を受けた苦しみから、夢中で※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》いていたのかも知れない……。
 彼は、そう思いあたると、あの断末魔であろう両手の不気味な運動が、生々しく瞼《まぶた》に甦えり、ゾッとしたものを感じた。
(一体、なぜあんな朗らかな美少女が、殺されなければならないのだ――)
 それは「他人」の彼に、とても想像も出来なかったことだけれど、それにしても、あの群衆の目前で、いとも易々《やすやす》と、一つの美しき魂を奪去《うばいさ》った「犯人」の手ぎわには、嫉妬に似た憤《おそ》ろしさを覚えるのであった。

      三

 海岸開きの日が済んで、十日ほどもたったであろうか。恰度《ちょうど》その頃は、学校も休みとなるし、時間的にも東京に近いこのK――町の賑《にぎ》わいは、正に絶頂に達するのである。
 夏の夕暮が、ゆっくりと忍び寄って来ると、海面《うなも》から立騰《たちのぼ》る水蒸気が、乳色《ちちいろ》の靄《もや》となって、色とりどりに燈《ひ》のつけられた海浜のサンマー・ハウスをうるませ、南国のような情熱――、若々しい情熱が、爽快な海風に乗って、鷺太郎の胸をさえ、ゆすぶるのであった。
 最早《もはや》、茜《あかね》さえ褪《あ》せた空に、いつしか|I岬《アイみさき》も溶け込み、サンマー・ハウスの灯《ひ》を写すように、澄んだ夜空には、淡く銀河の瀬がかかる――。
 鷺太郎は、日中の強烈な色彩を、敬遠するという訳でもないが、でも、まだ水泳をゆるされていないので、あの裸体の国である日盛りの浜に、浴衣がけで出かけることが面繋《おもがゆ》くも感じられ、いつか夕暮の散歩の方を、好もしく思っていた。
 Sサナトリウムを囲み、森を奏でるような蜩《ひぐらし》の音《ね》を抜けて、彼は闇に白く浮いた路を歩いていた。その路は、隣りのG――町に続いていた。
 鷺太郎は、歩きながらも、あの美少女の死を思い出した。それは、あまりに生々《なまなま》しい現実であったせいか、ここ数日、不図《ふと》そのことばか
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