ほう》、入りくんだ海をへだてて、水晶の数珠玉をつらねたように、灯《ひ》の輝いているのが、今、銀座のように雑沓しているであろうY海岸であった。然《しか》し、この人っ子一人見えぬ、灯一つないこの場所では、すでに、闇の中に海もひっそりと寝て、黒繻子《くろじゅす》のような鈍い光沢を放ち、かすかに渚をあらう波が、地球の寝息のように、規則正しく、寄せてはかえしていた。
山鹿とも一人は、そこまで来ると、つと[#「つと」に傍点]立止った。
そして前跼《まえこご》みになって、何か捜しているようだったが、それは、崖を下る小径だったと見えて、軈《やが》て、その二人の白服《しろふく》は、するすると真黒い草叢《くさむら》の中へ消えてしまった。
(おや、どうするんだろう――)
と頸《くび》をかしげた鷺太郎は、
(む、海岸へ下りて、渚づたいに帰ろうというんだな)
と思いなおした。
ダガ、不思議なことには、そう長い時間がかかろうとも見えぬ、崖の草叢《くさむら》に下りて行った二人の姿は、それっきり、鷺太郎の視界から、拭いさられてしまったのだ。
月はなかったけれど、星は降るように乱れ、その仄《ほのか》な光りで、崖の上からは、眼の下の海岸を歩く白服が、見えぬ筈《はず》はなかった。
恋人同志らしい二人|連《づれ》の姿が、人気のない海岸の草叢の中に消えてしまった、ということに、他人の色々な臆測は、却《かえ》っておせっかい[#「おせっかい」に傍点]かも知れない、鷺太郎は一寸《ちょっと》、こんな時、誰もが感ずるであろうような、皮肉じみた笑いが片頬《かたほほ》に顫《ふる》えたが――、鷺太郎は、何とはなく、不安に似た苛立《いらだ》たしさを覚えたのだ。それは不吉な予感とでもいうのであろうか。
到頭《とうとう》、たまり兼ねたように、大きく伸びをすると、それでも跫音《あしおと》をしのばせ乍《なが》ら、注意深く歩いて行って、さっき二人が下りたらしい崖の小径を捜して見た。
淡い光の中で、やっと捜し当てみると、それは、小さい崖くずれで、自然に草叢《くさむら》が潰されて出来たような、ざらざらとした小径で、その周囲には腰から胸辺りにまで来る、名も知らぬ雑草が生いしげり、黒い潮風に、ざわざわと囁《ささや》き鳴っていた。
鷺太郎は、その小径のくずれかかった中程《なかほど》で足をとめ、尚《なお》一層注意深く、耳を澄まして見たが、あたりはまるでこの世の終りのように、シーンと静もりかえって、葉ずれの音以外、なんの物音も聴えなかった。
(二人とも、何処へ行ったんだろう……)
考えてみれば、あの二人が何処へ行こうと、お節介な話のようであったけれど、彼はなぜか胸のどきどきする不安を感じていたのである。そして、それは果して彼の危惧ではなかった。
鷺太郎が、その小径を下の草叢にまで下りたち、もう一度、前跼《まえこご》みになって、あたりを見透かした時だった。右手の方、一間半ばかり離れて、雑草の中に、何か、時々ぼーっと浮き出る白いものが眼についた。
(おや――)
と、我知らず早鐘《はやがね》を打ちだした胸を押えて、露っぽい草を掻《か》きわけながら、近寄ってみると、
『あっ……』
ギクン、と立止った。
さっきから感じていた何か知らぬ不安は、矢《や》ッ張《ぱ》り事実だったのだ。
そこには、あの山鹿の家《うち》から追《つ》けて来た、若い女が、棄《す》てられたように、ぐったりと寝ている、いやそればかりでない、その左の胸の、こんもりとした隆起の下には、匕首《あいくち》が一本、ぐさりと突刺っているのだ。……その匕首のつけ根から流れ出た血潮が、あの白地に大胆な赤線を配した洋服の上へ、さっと牡丹《ぼたん》の花を散らしたように、拡がっていた。
そして、それが、生い繁った雑草の中に寝かされてあり、その夏草の葉蔭にとまった蛍が、無心に息づく度に、ぼーっと蒼白い仄な光りと共に、それが隠し絵のように、浮び出るのであった。
蛍火が、絶入るばかりに蒼白かったせいか、その美しい貌《かお》だちをもった、まだ十七八の少女の顔が、殊更《ことさら》、抜けるように白く見え、その滑かな額には、汗のような脂《あぶら》が浮き、降りかかった断髪が、べっとりと附《くっ》ついていた。そして、それと対照的に、ついさっき塗られたばかりらしいルージュの深紅と血潮とが、ぼーっと明るむたびに、火のように眼に沁《しみ》るのだ。
太陽のもとでは、さぞ酷《むごた》らしいであろうその屍体《したい》が、このぼーっ、ぼーっと照しだされる蛍火の下では、どうしたことか却って、夢に描かれたように、ひどく現実離れのした倒錯した美しさを見せるのであった。
――鷺太郎は、恐ろしさというよりも、その蛍火の咲く夏草の下に、魂の抜け去った少女の、この世のものでない美し
前へ
次へ
全16ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
蘭 郁二郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング