ょうか、何処からか、素早く……』
『ふーん』
 山鹿は頸《くび》をかしげたが、すぐ、
『駄目駄目。投げつけた匕首が、砂を潜《もぐ》って、俯伏《うつぶせ》になった体の下から、心臓を突上げられる道理がないですよ……、ところで、あの前後に、あの一番近くを通ったのはあなた[#「あなた」に傍点]じゃないですか――、どうもその浴衣《ゆかた》すがたというのは、裸※[#小書き片仮名ン、319−2]坊の中では眼《め》だちますからね――』
『冗、冗談いっちゃいけませんよ、僕が、あの見も知らぬ少女を殺ったというんですか』
 鷺太郎は、この無礼な山鹿に、ひどく憤《いきどお》ろしくなった。
『僕、失敬する――』
 帰ろう、とした時だった。色の褪《さ》めたビーチコートを引っかけた青年団員が飛んで来て、
『すみませんが、この辺にいられた方は暫《しばら》くお立ちにならないで下さい』
 と、引止められた。
(ちぇっ!)
 と舌打ちしながら、山鹿の横顔を偸見《ぬすみみ》ると、彼は相変らずにやにやと薄く笑いながらわざと外《そ》っぽを向いていた。
(まあいい、「サフラン」でアリバイをたててくれるだろう――)
 彼は仕様事《しようこと》なしに、又沖に眼をやると、恰度今、早打《はやうち》がはじまったところで、
 ポン、ポン、ポン、ドガァーン。
 とはずんだ音が響き、煙の中からぽっかりと浮出した風船人形が、ゆたりゆたりと呆《ほう》けたように空を流れ、浜の子供たちがワーッと歓声をあげ乍《なが》ら、一かたまりになって、それを追かけて行くところであった。
 浜は、この奇怪な殺人事件の起ったのも知らぬ気に、最も張切った年中行事の一つである海岸開きに、溌剌《はつらつ》とわき、万華鏡のように色鮮やかに雑沓していた。
      ×
 あの華やかにも賑わしい「海岸開き」の最中に、突然浜で起った奇怪極まる殺人事件は、その被害者がきわだった美少女であった、ということ以外に、その殺人方法が、また極めて不思議なものであった――ということで、すっかり鷺太郎の心を捕えてしまったのだ。
 彼は、サナトリウムに帰っても、その実見者であった、ということから、好奇にかられた患者や看護婦に、幾度となく、その一部始終を話させられた。
 然《しか》し、いくら繰返し話させられても、ただそれが稀《まれ》に見る不可思議な犯罪だ、ということを裏書し、強調するのみで、とても解決の臆測すらも浮ばなかった。
 ――彼女(翌日の新聞で東京の実業家大井氏の長女瑠美子であることを知った)は、あの浜に寝そべりながら、二三度両手で邪慳《じゃけん》に砂を掻廻《かきまわ》していた、――とすると、それは砂いたずら[#「いたずら」に傍点]ではなくて、既に胸に匕首を受けた苦しみから、夢中で※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》いていたのかも知れない……。
 彼は、そう思いあたると、あの断末魔であろう両手の不気味な運動が、生々しく瞼《まぶた》に甦えり、ゾッとしたものを感じた。
(一体、なぜあんな朗らかな美少女が、殺されなければならないのだ――)
 それは「他人」の彼に、とても想像も出来なかったことだけれど、それにしても、あの群衆の目前で、いとも易々《やすやす》と、一つの美しき魂を奪去《うばいさ》った「犯人」の手ぎわには、嫉妬に似た憤《おそ》ろしさを覚えるのであった。

      三

 海岸開きの日が済んで、十日ほどもたったであろうか。恰度《ちょうど》その頃は、学校も休みとなるし、時間的にも東京に近いこのK――町の賑《にぎ》わいは、正に絶頂に達するのである。
 夏の夕暮が、ゆっくりと忍び寄って来ると、海面《うなも》から立騰《たちのぼ》る水蒸気が、乳色《ちちいろ》の靄《もや》となって、色とりどりに燈《ひ》のつけられた海浜のサンマー・ハウスをうるませ、南国のような情熱――、若々しい情熱が、爽快な海風に乗って、鷺太郎の胸をさえ、ゆすぶるのであった。
 最早《もはや》、茜《あかね》さえ褪《あ》せた空に、いつしか|I岬《アイみさき》も溶け込み、サンマー・ハウスの灯《ひ》を写すように、澄んだ夜空には、淡く銀河の瀬がかかる――。
 鷺太郎は、日中の強烈な色彩を、敬遠するという訳でもないが、でも、まだ水泳をゆるされていないので、あの裸体の国である日盛りの浜に、浴衣がけで出かけることが面繋《おもがゆ》くも感じられ、いつか夕暮の散歩の方を、好もしく思っていた。
 Sサナトリウムを囲み、森を奏でるような蜩《ひぐらし》の音《ね》を抜けて、彼は闇に白く浮いた路を歩いていた。その路は、隣りのG――町に続いていた。
 鷺太郎は、歩きながらも、あの美少女の死を思い出した。それは、あまりに生々《なまなま》しい現実であったせいか、ここ数日、不図《ふと》そのことばか
前へ 次へ
全16ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蘭 郁二郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング