まり悪そうに、干《ひ》からびた声でぼそぼそと、弁解じみた独りごとをいい出した。
『……どうもねえ、白藤さん、どうも僕はこの蛾とか蝶とかいうのが、世の中の何よりも恐《おそ》ろしくてねえ……だれだって、そら、人にもよるけれど蛇がこわいとか、蜘蛛《くも》が怕いとか、芋虫をみると気が遠くなるとかいうけれど、僕にとって、蛾や蝶ほど怕い、恐ろしいものはないんですよ……そうでしょう。誰にだって、怕いものはあるでしょう……』
『そうですね、僕――僕にとっちゃ、まあ、悪いことを悪いと思わぬ奴が一番こわいがなァ』
 山鹿は、その白藤の皮肉じみた言葉にも気づかぬように、可笑《おか》しなことには、まだ胸をどきどきと昂《たか》まらせながら、
『そうなんです。誰だって、心底から怕いものを一つは持っているんですけど、僕の場合、それが、あの蝶や蛾の類なんです。蛇や蜘蛛は、寧《むし》ろ、愛すべき小動物としか思いませんけど、これはどうも、そうはいきません、蛾――蛾――と思うと、もう不可《いけ》ないんです。斯《こ》う頭の芯がシーンと冷めたくなって、まるで瘧《おこり》のように、ぶるぶる顫《ふる》えてしまうんですからね、まったく、子供だましみたいな話なんですけど、僕はこの恐怖のために、どんなに苦しんだか知れません――一度はあのブルキ細工の蝶の玩具《おもちゃ》を買って来て、自分を馴らそうとしたんですけど、それでも駄目なんです。あのブルキの蝶が、極彩色のなんともいえぬ、いやな縞《しま》をもった大袈裟な羽根を、ばたばた、ばたばたと煽ると、もうどうにも我慢がならんのです。あの毒々しい色をもった鱗粉《りんぷん》というやつが、そこら一面にまき散らされるような気がしましてね。僕にとっちゃあの鱗粉という奴が、劇薬よりも恐ろしいんです。子供の時分、あの鱗粉が手についた為に、そこら一面、火ぶくれのようになって、痛みくるしんだ、苦い経験をもっていますよ。体質的にも、蝶や蛾は禁忌症《きんきしょう》なんで、それがこの強い恐怖の原因らしいんです……つまりは』
『へえ、そんなことがあるもんですかね、蛾は兎《と》も角《かく》としても、蝶々なんか実に綺麗な、可愛いいもんじゃないですか、尤《もっと》も掴《つか》めばそりゃ恰度《ちょうど》あの写し絵のように黄だの、黒だの縞《しま》が、手につきますけどね――』
『ああ、それが僕にはたまらんのです。
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