私は、そう思っていた。そう思って東京を棄て、まだ春も浅い、さびれた海岸町に来たのだ。
 だが、忘れようと、焦慮《あせ》れば焦慮るほど、私はあのネネの、真綿で造られた人形のような、柔かい曲線に包まれた肉体を想い出し、キリキリと胸に刺込む痛みを覚えるのだ。黄昏になると、殊にその誘惑がひどくなる。
 その上、糸の切れた凧のようなその日その日であったせいか灯ともし頃になると、どうしても凝乎《じっ》としてはいられなくなって、あてもない道を、まだ肌寒い風に吹き送られ乍《なが》ら、防風の砂丘を越えて、野良犬のように迂路《うろ》つき廻るのであった。
 時には潮の引いた堅い砂の上を、すたすたと歩き、或《あるい》は檣《マスト》のように渚に突立って、黝《くろ》みゆく水平線のこんもり膨《ふく》れた背を、瞬きを忘れて見詰め、或は又、右手《めて》の太郎岬《たろうみさき》の林を染めている幽《かすか》な茜《あかね》に、少女のような感傷を覚えたり、さては疲れ果て、骸骨《がいこつ》のような流木に腰を下し、砂に潜った足先に感ずる余熱の温りを慈しみ、ざざあ、ざざあ、と鳴る単調な汐の音に、こと新しく聞き入るのであった。

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