『やあ――』
 私も、すらすらと返事をして、こっくり頭を下げた。だがその次の言葉が、私を驚かせた。
『失礼ですが、あなたはツベルクローゼじゃありませんか』
 私は、
『え』
 と詰って、
『まさか、――私が肺病に見えますか』
 と、聊《いさ》さか憤然《むっ》として答えた。
『や、そうですか、失礼失礼……。どうも今頃、あなたのような青年が、こんな淋しい海岸に来てぶらぶらしていると、どうもそんな気がしましてね……、若《も》しそうだったら私の経験したいい方法をお知らせしようと思ったもんですから……』
 その男は、ひどく恐縮したようにいった。
『肺病じゃないですが、でも、胸のやまいですよ、女という病菌の……』
 と、冗談にまぎらして、私は彼を恐縮から救った。それはその男の持つ、何処《どこ》となく異状な雰囲気に、疾《と》うから好奇心を持っていたからであったろうし、又、話し相手を欲しいと思っていた気持が、つい、そういわせたのかも知れない。
『おやおや、そりゃ顕微鏡じゃなくて、望遠鏡を持って来たいような病菌ですね。その病菌は色々な症状を呈しますよ、発熱したり衰弱したり、遂には命をとられたりするのもね、……その病気については、私も経験がありますよ、私も』
 そういって、その男は、最初の失言を訂正するように、
『あはははは……』
 と笑った。そして、
『その為に、僕もこんな淋しい忘れられた町に来たっていう訳ですよ――』
『ほほう、同病ですか、あなたも……』
 私も彼の軽い口に、すっかり気が溶けて、いつか肩を並べて渚を歩いていた。今日も海風《かいふう》は相当に強く、時々言葉が吹きとばされることがあったが、漸《ようや》く夕焼もうすれ、すすめられる儘《まま》に、太郎岬の上にある、という彼の家を訪れることを決心した。それは、
『僕は医科をやったんですが、今は彼女のために、総《すべ》てを抛《なげう》って手馴れぬ作曲に熱中しているんですよ……』
 といった言葉が、ひどく私の好奇心を唆《そそっ》たからであった。

      二

 その男の家は、太郎岬の上の、ぽつん[#「ぽつん」に傍点]とした一軒家であった。
 其処《そこ》まで登るには、細いザラザラした砂岩を削ってつけられた危なっかしい小径《こみち》を、うねうねと登って行くのであるがしかし、さて登り切って見ると、其処《そこ》からは相模湾が一望の
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