イシャドウ、おまけに垂れ滴《したた》るような原色の脣《くちびる》をもった、まるでペンキを塗った腸詰のようなその黴毒女《ばいどくおんな》を、春日が、例え噂にもしろ「ネネ」と呼んだ、ということについては、激しい不満を感ぜずにはいられなかった。私は、すれ違った瞬間に受けた職業的な、いやらしい|流し目《ウィンク》を、いつまでも舌打ちをし乍《なが》ら思い出し、よくもまあ、あの時、崖の上から突飛ばさずに、無事に帰って来たものだ――とすら思われた。
が、しかし、考えてみると、あの一風変った春日にしてみれば、ネネも、ただあの醜い花子を美しく包装しただけであって、内容はまるで同じものだと思っているのかも知れぬ、イヤ、「美」の感点などというものは、人に依って違うのだ、彼はネネの声をほめたけれど、曾《か》つてネネの美しき容姿については一言もいってはいなかったではないか。春日はネネの声に恋していたのかも知れぬ、そして、聞いてはみないが、ひょっ[#「ひょっ」に傍点]とすると花子の声はネネ以上に美しいのかも知れないと思われた――でも、でも私には、余計なことかも知れないが、その花子という女は、とても我慢のならぬ代物であった。
(ネネの姉妹《きょうだい》?――)
などという甘いロマンチズムは、かくして虚空の外にケシ飛び、儚《はかな》くも粉砕してしまったのだ。
五
日増しにく暖かくなって、藤の花が一つ二つ咲きはじめた日であった。
あれから、思っただけでも虫酸《むしず》の走る花子のことを考えると、私は絶えて春日を訪れることもなかった。
海に面した縁先に、寝椅子を持出して、目をつぶった儘《まま》、
(東京へ帰ろうか――)
などと思われる日であった。
思えば、なぜ「この日」を其処で迎えてしまったのであろう。その前になぜ東京へ帰って仕舞わなかったのであろう、と悔まれるのであるが、しかし、それも亦《また》、宿命という説明し尽されぬ魔力に、まだ私は囚《とら》われていたのに違いないのだ。
それは、花子との二重写しに依って、漸《ようや》く薄れて来たネネの面影が、又々生々しく甦って来、私の胸を騒がすような事件が待設《まちもう》けていたのであった。
午後であった、しかし、まだ午《ひる》を廻って間もない時分だ。裏木戸を蹴飛ばすような騒々しい音と一緒にあの植木屋が大事件だ、というような顔を
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